【愛知県経済産業局長×パナソニック エバンジェリスト】 製造業の未来をつくる、DXと人材育成

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取材・文:相澤良晃、撮影: 井上秀兵

自動車産業・重工業を中心に、世界的な製造業の一大集積地である愛知県。工業製品出荷額は43年連続トップで、名実ともに日本一のものづくり王国である。しかし、自動車産業が「100年に一度の転換期」といわれる今、愛知のものづくりも変革を迫られている。政府が発行する、ものづくりの施策に関する報告書である「ものづくり白書2021」の制作に携わり、現在、愛知県の経済産業局長を務める矢野剛史(やの つよし)氏に、製造業がDXを実現するためのポイントや日本のものづくりの未来、愛知県の取り組みなどについて、お話を伺った。聞き手はパナソニック エバンジェリストの一力知一(いちりき ともかず)氏。

矢野 剛史(やの つよし)

愛知県経済産業局長

1997年、通商産業省(基礎産業局総務課)に入省。その後、資源エネルギー庁(資源開発など)、内閣官房(知的財産戦略)、在シンガポール日本大使館、貿易経済協力局(安全保障貿易管理など)、内閣官房(個人情報保護)等を経て、製造産業局 ものづくり政策審議室長として、「ものづくり白書2021」の作成を担当。2021年7月より現職。

一力 知一(いちりき ともかず)

パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 現場プロセス本部 エグゼクティブコンサルタント エバンジェリスト

1999年、松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社。データベースシステム開発、製造系基幹システム導入PJ、経営企画、IoTによるスマートファクトリー・スマート倉庫構築などに従事し、現在は社内で実践したオペレーションの知見とパナソニックのデジタル技術を組みわせた「インダストリアルエンジニアリング(IE)とDXの融合による経営オペレーション変革」を中核とするデータ駆動型経営オペレーション構築のコンサルタントとして、社外の製造、物流、流通業界における経営プロセス変革を推進。

ニューノーマル時代のものづくりに必要なのは、「レジリエンス」「グリーン」「デジタル」

一力:矢野さんは、2021年7月に経済産業省から愛知県経済産業局長に着任されました。これまで、どんなお仕事をされてきたんですか。

矢野:私は1997年に当時の通産省に入省して、鉄鋼や化学工業などの重厚長大産業を所管する基礎産業局(現・製造産業局)に配属されました。その後は、資源エネルギー庁でアラビア石油の権益交渉、内閣官房で知的財産基本法(知財法)の法案準備、貿易経済協力局でFTA(自由貿易協定)に関連する原産地証明制度の法整備などに関わってきました。

その後、3年ほど在シンガポール日本大使館に経済班の書記官として勤務した経験もありますが、一貫して歩んできたのは製造業の周辺領域です。愛知に来る前は、ものづくり政策審議室長として、2021年版『ものづくり白書』を制作していました。もともと学生の頃からものづくりに携わりたいという思いを強く持っていたので、その願いが叶っているのは幸運ですね。

愛知県 経済産業局長 矢野剛史氏とパナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 現場プロセス本部 エグゼクティブコンサルタント/エバンジェリスト 一力 知一氏
愛知県 経済産業局長 矢野剛史氏(左)とパナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 現場プロセス本部 エグゼクティブコンサルタント/エバンジェリスト 一力 知一氏(右)

一力:海外に赴任されたとき、何か日本を見る目は変わりましたか。

矢野:そうですね、シンガポールでは勉強になることがたくさんありました。一番驚いたのは、意思決定の速さです。国土が東京23区とほぼ同じ大きさで、国の規模が日本よりもだいぶ小さいということもありますが、行政がとにかくスピーディーに物事を進めていくんですよ。

シンガポールは実は、GDPに占める製造業の割合を一定程度(約20%)維持する政策をとっています。製造業に関連していえば、イノベーションや技術開発にシンガポール政府はものすごく前向きでした。海外から一流の研究者や教授を国立大学に招いて、どんどん新しいプロジェクトを立ち上げる。産官学が一体となって、新たなビジネスを生むために意欲的になっていて、ものすごい勢いが感じられました。そこに日本が「失われた30年」から脱却するためのヒントがあるような気がします。

一力:『ものづくり白書』は、以前GEMBAで取り上げたことがあります。どのような思いで制作に携われていたのでしょうか?

矢野:やはり根底にあったのは、事業者の方々の役に立ちたいという気持ちです。ものづくりの現場では、皆さん日々さまざまな課題に直面しながら業務に取り組まれていると思います。とくに中小企業においては、眼前の課題を解決するので手一杯で、なかなか今後の経営戦略を立てられないという経営者の方も少なくないのではないでしょうか。そうした方々にも参考にしていただきたいと考えて、時勢や国際情勢なども俯瞰したうえで、簡潔に有益な情報や国の方針を伝えることを意識していました。

そうした編集方針の下、2021年版の『ものづくり白書』では「製造業のニューノーマル」と題して「レジリエンス(サプライチェーン強靭化)」「グリーン(カーボンニュートラル)」「デジタル」の3つのテーマを掲げ、これから日本の製造業がめざすべき道を示しました。近年は自然災害等の影響により、サプライチェーンが寸断されることが増えています。そこをさらに新型コロナウイルス感染症が襲いました。自社の被害想定だけでなく、サプライチェーン全体を俯瞰して、調達先を分散するなど、サプライチェーンのレジリエンスを高めることが重要です。

また、2050年のカーボンニュートラル実現に向けて各国が突き進むなか、「環境と経済」を両立できない企業は、グローバル市場では生き残っていけないでしょう。今後、製造業のみならず、あらゆる企業に対して気候変動や環境への対応が求められます。

そして、サプライチェーン全体を精緻に把握したり、環境変化への対応に向けて業務プロセスを再構築したりするためには、「デジタル技術を前提としたビジネス変革=DX」が欠かせません。データ連携をしながらものづくりのプロセスを高度化しないと、世界に置いていかれてしまう。『ものづくり白書2021』では、このように警鐘を鳴らしています。

愛知県 経済産業局長 矢野剛史氏

DXを成功させるための5つのステップ

一力:日本ではDXがうまく進んでいないといわれていますが、実際はどうなのでしょうか。

矢野:2020年の年末に、経済産業省はDXを推進するための研究報告書「DXレポート2 中間とりまとめ」を発表しました。そのなかのアンケートで、「約95%の企業は DX にまったく取り組んでいないレベルにあるか、DXの散発的な実施に留まっているに過ぎない段階であり、全社的な危機感の共有や意識改革の推進といったレベルにはいたっていない」という結果が出ています。多くの事業者が、DXがうまくいっていないと自覚していることがわかります。

一力:その理由はどこにあるのでしょうか。

矢野:さまざま考えられますが、一番は経営者自身の意識の問題ではないでしょうか。DXはあくまでも手段であって、「データを活用してこの部門の生産性を上げたい」「AIを導入してこの製品のリードタイムを短くしたい」などと、目的を明確にしたうえで取り組むべきものです。しかし、現実はDXが目的化してしまっていて、魔法の杖さながら、「DXをすれば生産性が大幅に上がる」と考えている経営者の方が少なくないように感じます。しかし、それでは結果が出ませんよね。

一力:そうですね。DXを成功させるには、まず自社や自組織の存在意義やありたい姿を描く必要があります。そのうえで、現状とのギャップを埋めるためには何が足りなくて、どう解決できるのかという道筋を描くことが重要だと考えています。その解決方法として大きな助けになるのがDXという関係にあります。つまり、目指す姿からバックキャスティングで考えることが大切だということです。

もう1つ重要なのは、企業競争力を決める1つの要素である業務のプロセスを「標準化」することです。目指す姿を実現する新しい業務プロセスの基準をつくることこそが「標準化」に他なりません。標準化するために、生産性は今いくつで、どのくらい向上させると何を成し得るのかなどを「見える化」することから、取り組んでいくべきだと思います。基準がないなかでは、良くなっているのか、目指している業務の標準化がどの程度実現できているのかなどがわからないからです。

その過程を経て、ようやく導入すべきシステムやツールが決まるのに、実際は標準化の前にシステムやツールを先行導入して、「全然、使いものにならなかった……」と失敗するケースも多く経験しています。闇雲にDXに取り組んでしまうと、これまでの強みを失って、逆効果になる可能性もあります。

パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 現場プロセス本部 エグゼクティブコンサルタント/エバンジェリスト 一力 知一氏

矢野:製造産業局では、2020年に公表した『製造業 DX レポート』のなかで、DXを失敗しないための5つの基本ステップを紹介しています。簡潔にいうと、①「ビジョンを明確にする」、②「業務プロセスを可視化する」、③「職人のもつ技術や能力をデジタル化・数値化する」、④「データを共有するためのプラットフォームの整備する」、⑤「デジタル化を継続するための人材育成」です。

製造業といっても、その企業規模や業種・業態はさまざまですから、実際は自社の状況に合わせてアジャストする必要はありますが、もしDXをどう進めるか悩まれている方は、この5ステップを参考にしていただければと思います。

一力:最後の「デジタル人材の育成」という点で悩んでいる企業も多いと思います。矢野さんは、どうお考えですか。

矢野:「デジタル人材」というと、往々にして「プログラミングのスペシャリスト」「AI解析の専門家」などを思い浮かべがちですが、もっとライトに考えていいと思います。「データを見てさまざまな発想ができる人」「身近にデータを利活用できる人」といった感じでしょうか。

一力:端的にいえば、「データから価値を生み出せる人」ですよね。AIも同様で、アルゴリズムをつくるスペシャリストも必要ですが、それと同じくらい今後重要となってくるのが「AIを経営や現場で普段の仕事の中で普通に使える人材」だと思います。自社の業務プロセスを理解して、どこにどんな風にAIを実装するのがいいのか、どう活用すればビジネスが成功するのか。これからは、AIを使いこなす発想力、構想力がより重要になるのではないでしょうか。

矢野:そうですね。AIは、私たちの想像が及ばないような答えを導き出してくれるわけです。その答えを導き出した過程は、もはや人間には理解できない。でも、そのAIが導き出した答えを、業務プロセスや自分の仕事に組み入れることは、人間にしかできません。AIを活用して、新しい仕事のやり方や未知のビジネス領域を開拓していける人が、これから求められる「デジタル人材」だと思います。

愛知県をスタートアップのグローバル拠点に

一力:愛知県に来てから、製造現場に行く回数は増えましたか。

矢野:いえ、コロナ禍ということで、正直、思ったよりも現場には足を運べていません。ただ、経営者や現場で活躍されている方とお会いして、現場の話を伺える機会は増えました。

東京にいたときは、業界団体の方からお話を聞く機会は多かったのですが、どうしても二次情報になってしまうので、「自分は本当に現場の実態を正しく理解しているだろうか」というもどかしさがありました。しかし、愛知県に来てからは現場の生の声を聞いて、驚くことも多いです。現場から直接拾い上げた課題を、国の施策や方針に反映させるのが私の役割だと思っています。

愛知県庁本庁舎
名古屋市中区にある愛知県本庁舎は国の重要文化財。現在でもメインの庁舎として使われている

一力:今後、どんなことに力を入れていきたいか、意気込みを教えてください。

矢野:「日本のものづくりを牽引する」という気概で、愛知県の製造業をさらに盛り上げていきたいですね。

愛知県はトヨタ自動車を中心とした、ものづくり王国です。2020年の製造品出荷額(※「2020年工業統計調査」)は、約48兆円で43年連続日本一。しかし、自動車産業が「100年に一度の転換期」と言われている今、愛知県のものづくりも大きな岐路に立たされています。先行きは不透明ですから、自動車産業だけに頼らず、新しい産業をどんどん生み出していく必要があると考えています。

上位10都道府県製造品出荷額等
総務省・経済産業省「工業統計表産業別統計表〔概要版〕」を元にGEMBA編集部にて作成

矢野:その足掛かりのひとつとして、愛知県では2024年完成を目標に、スタートアップの創出・育成を図るための中核支援施設「STATION Ai(ステーションエーアイ)」の建設を進めています。地上7階建で、1000社以上が利用可能。低層階にはテック・ラボやイベントルーム、高層階には宿泊、研修施設などを設け、国内外から魅力あるスタートアップを集めることで世界有数のスタートアップ・エコシステムが融合するグローバル拠点をめざしていきます。

「STATION Ai」の外観イメージ
「STATION Ai」の外観イメージ(提供:愛知県)

矢野:また、2021年11月には「あいち産業DX推進コンソーシアム」を立ち上げました。今後、経済団体や大学、金融機関、行政などが連携して、県内企業のDXをサポートするための施策を展開していく予定です。DXにおける課題を持ち寄って、みんなで協力して解決していきます。

一力:デジタル化が進めば、愛知からさらに大きなバリューが生まれそうですね。

矢野:昨今は「日本のものづくりは元気がない」と言われていますから、ここ愛知県から日本のものづくりに活力を与えたい。そう思っています。

一力:たしかにシステム化やデジタル化という点では、欧米や中国に大きく水をあけられたかもしれません。しかし、私は日本の現場が持つ技術力やポテンシャルはまだまだ世界有数だと思っています。その現場力、技術力にデジタルを掛け合わせて、もう一度、輝く日本のものづくりを盛り上げていきたい。

矢野:そうですね、若い人に「ものづくりってかっこいい、ワクワクする」と思ってもらえるようにしたいですね。かつて日本には、本田宗一郎や井深大、松下幸之助など、優れたものづくり企業の経営者がいました。「技術×デジタル」で、ものづくりに夢を見させてくれる経営者が、また続々と日本に誕生してほしいと思います。

WeWorkグローバルゲート名古屋内にあるPRE-STATION Aiの様子
WeWorkグローバルゲート名古屋内に「PRE-STATION Ai」を開設し、相談窓口及びスタートアップへのビジネス支援等を行っている(提供:愛知県)

一力:今の子供たちは、生まれたときから空気のようにデジタル技術が周りに存在する環境で育ったデジタルネイティブ世代です。そんな世代が憧れる仕事を生み出せるような業界にならなければ、製造業はどんどん衰退してしまいます。そのためにも、DXで普通にデジタル技術を使える環境を整えることは急務。これは、いま企業にいて責任者を務める私たち世代がやるべきことだと思っています。

企業のなかで新しい価値を生み出すのは、ものを設計開発・製造して提供するものづくりの部分です。その競争力をより強くすることで、日本のものづくりの現場がもっと魅力を増して、若い人が新しい価値を生み出せるよう、パナソニックとしても頑張ります。

矢野:変革期だからこそ、チャンスがある。国としても、愛知県としても、新しいことにチャレンジする企業や人を全力でサポートしていくので、イノベーションを起こして、ぜひ私たちが想像もつかなかった価値を世の中に提供してほしい。日本のものづくりが再び世界で輝けるよう、一緒に頑張っていきましょう。

矢野剛史氏と一力 知一氏