「ものづくり白書」から考える製造業の未来――不確実な世界でサバイブするための「ダイナミック・ケイパビリティ」とは

「ものづくり白書」から考える製造業の未来――不確実な世界でサバイブするための「ダイナミック・ケイパビリティ」とは
取材・文:相澤良晃

毎年、春から夏にかけての時期で公表される「ものづくり白書」は、製造分野における政府の施策と今後の方針についてまとめた年次報告書だ。今回、その制作に関わっている経済産業省製造産業局の石山裕二氏と、長年にわたり製造業のコンサルティングを行ってきたウイングアーク1st株式会社の大川真史氏に、「2020年版ものづくり白書」のポイントと、現在、製造業界が抱える課題についてうかがった。

石山 裕二(いしやま ゆうじ)

経済産業省製造産業局総務課 課長補佐

2007年東京大学経済学部卒業後、経済産業省に入省。石川県商工労働部産業政策課長、中小企業庁事業環境部金融課などを経て、2019年より現職。デジタル・トランスフォーメーションの推進をはじめとする製造業の諸課題に取り組む。

大川 真史(おおかわ まさし)

ウイングアーク1st株式会社 UPDATA Report調査室 主席研究員

1974年静岡県生まれ。大学卒業後、IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。明治大学サービス創新研究所研究員、東京商工会議所ものづくり推進委員会専門家WG座長、Garage Sumida研究所主席研究員などを兼務。専門は製造業のサービス化、デジタル化による産業構造転換。2015年版のものづくり白書の制作にアドバイザーとして関わって以来、ものづくり白書の制作に関わる方々と意見交換をしている。

「ものづくり白書」から読み解く、日本の製造業界の今後

――そもそも「ものづくり白書」とは、どういうものでしょうか。

石山:「ものづくり白書」は、毎年策定される「製造業に関する政府の報告書」です。これを読めば、製造分野において政府がこの1年で何をしてきたのか、今後はどのような方針で製造業界を支えていくのかといった動向がわかります。経済産業省、厚生労働省、文部科学省の3省が共同で執筆しており、「2020年版ものづくり白書」で20回目の刊行となりました。

――近年の「ものづくり白書」の傾向を教えてください。

大川:ここ10年の「ものづくり白書」を振り返ってみると、2015年版を境に大きく変わったと感じます。具体的には、IoT化やデジタル化が推奨され、既存の「大量生産、大量販売モデル」を脱却してビジネスモデルを転換することの必要性が全面に押し出されています。

石山:大川さんから言及のあった2015年、私は石川県に出向しており、県内企業の皆様にデジタル化を進めていただこうと駆け回っていました。当時は、IoTの取組や政策が徐々に日の目を見始めたものの、これが地域のものづくり企業の一社一社に浸透していくにはまだまだ先は長いという肌感覚でした。企業の皆様とお話させていただいていると、この分野を自社の経営課題や成長のきっかけとして捉え切れていないと感じることも多々あり、身近な事例を取り入れる形でもよいのでまずは何かしら踏み出していただきたい、その前段階としてなぜそれが必要なのかをご理解いただく、といったところから腰を据えてやっていかねばならないなと感じていました。

こうした体験もあり、デジタル化の有用性について継続的に普及啓発することは、地味ですが非常に重要な取組だと考えています。2017年版ものづくり白書で人・モノ・技術・組織をIoTの力でつなげて生産性を高める「コネクテッド・インダストリーズ(Connected Industries)」の考え方が盛り込まれたことを皮切りに、その後の白書では製造業のデジタル化について継続的に取り上げています。

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コロナで明らかになったグローバル・サプライチェーンの弱点

――「2020版ものづくり白書」で、あらたに登場したキーワードはありますか?

石山:2つあります。1つは「不確実性」です。直近では新型コロナウイルス感染症の感染拡大もこれに該当しますし、国際的には米中貿易摩擦やイギリスのEU離脱など、国内では自然災害の多発など、近年、グローバル・サプライチェーンに大きな影響を与える出来事が次々と起きています。いずれも予測不能の出来事ばかりで、世界の「不確実性」が高まっているわけです。

今後、こうした予測不能な環境変化が起きたときでも、企業活動を継続するための対応力を持つことが日本の製造業の大きな課題であると、2020年版ものづくり白書では言及しています。

――そもそも、どのような歴史を経て企業のグローバル・サプライチェーンが構築されていったのでしょうか。

サプライチェーン再編の歴史(引用:ものづくり白書)
サプライチェーン再編の歴史(引用:ものづくり白書)

石山:2020年版ものづくり白書の図にもありますように、1980年代後半から日本の製造業はサプライチェーンのグローバル化を推進してきました。2000年代になるとさらにその動きは加速し、企業は各工程を細分化し、複数国に分散して、自社にとって最適なサプライチェーンを構築しました。こうした取組もあり、2000年に11.8%だった海外生産比率は、2017年には倍以上に上昇しました。

一方で、今般の新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、グローバル・サプライチェーンのリスクも明らかになりました。たとえば、日本の自動車部品の中国の依存度は約3%(3300億円)です。一見、「わずか3%」とも思うのですが、精密部品の集合体である自動車は、一部の部品が調達できなくなるだけでも組み立てることができなくなってしまいます。実際、新型コロナウイルス感染症の影響で中国などの工場の操業がストップした2020年2月には、日系メーカーの中国での販売台数は対前年同月比で大きく減少しています。

今後はグローバル・サプライチェーンの見直し、必要に応じた基幹部品・製品の生産拠点の切り替えなど、不確実性が高い世界でも安定して供給を行うためにサプライチェーンの再構築が、製造事業者にとって一層大きなテーマとなる可能性もあります。

不確実な時代を生き抜くためのダイナミック・ケイパビリティ(企業変革力)とは

――では、「2020年版 ものづくり白書」のもう1つのキーワードを教えてください。

石山:「ダイナミック・ケイパビリティ」です。2020年版ものづくり白書では「企業変革力」と置き換えています。これはカリフォルニア大学バークレー校のデイヴィッド・J・ティース教授によって提唱された戦略経営上の考え方で、環境変化に対応するために組織内外の経営資源を再結合・再構成する経営者や組織の能力のことを指します。予測不可能なものごとが続く世界で、自らも変化し続けて対応していく、「正しいことを行う」ための能力とも言えます。

2020年版ものづくり白書では、「オーディナリー・ケイパビリティ」と対比して「ダイナミック・ケイパビリティ」の必要性を説明しています。オーディナリー・ケイパビリティは生産性や効率性を追求する能力であり、「ものごとを正しく行う」ための能力とも言えます。これまで日本企業の成長ドライバーとして主眼が置かれていたのは、このオーディナリー・ケイパビリティであったとも考えられます。

03オーディナリー・ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの相違点(ものづくり白書を参考にGEMBA編集部にて作図)
オーディナリー・ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの相違点(ものづくり白書を参考にGEMBA編集部にて作図)

大川:不確実性が高い、つまり変化が激しくなっている現代では、変化を敏感に察知することがより求められます。そのため、平時に利益を最大化する方針であるオーディナリー・ケイパビリティが高いだけの企業が生き残るのは難しくなってきています。

04オーディナリー・ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの職務権限の違い(ものづくり白書を参考にGEMBA編集部にて作図)
オーディナリー・ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの職務権限の違い(ものづくり白書を参考にGEMBA編集部にて作図)

大川:不確実性が高い状況下では、経営者は「コスト」に代わる物差しを持って、有事にも柔軟に対応できる組織運営が必要です。そこで注目されているのが、環境の変化に適応して、組織を柔軟に変化させる力、すなわち「ダイナミック・ケイパビリティ」です。ティース氏は、「ダイナミック・ケイパビリティ」は以下の3つの力からなると説いています。


「感知」(センシング):驚異や危機を察知する能力
「補足」(シージング):機会を捉え、既存の資産・知識・技術を再構成して競争力を獲得する能力
「変容」(トランスフォーミング):競争力を持続的なものにするために、組織全体を刷新し変容させる能力


つまり、「脅威や危機をいち早く察知し、機会を逃さずに組織を再編成して生まれ変われる企業」が優位性を保てるようになります。

いま必要なのは経営者のリーダーシップ

――企業がダイナミック・ケイパビリティを強化するためにはどうすればよいのでしょうか。

大川:まず、トップの意識改革が大切だと感じます。経営者がリーダーシップを発揮して、「多少の効率を犠牲にしてでも、有事に強い組織づくり」をめざすことがダイナミック・ケイパビリティを高めるための第一歩だと思います。その点から、トップの意志決定が現場に届くまで時間がかからず、トップが自由に組織運営できる中小企業のほうが、ダイナミック・ケイパビリティを発揮しやすいと思います。

一方、大企業はオーディナリー・ケイパビリティでここまで積み上げてきたものがあるので、ダイナミック・ケイパビリティを育てるのは厳しいかもしれません。

石山:もちろん、大企業はダイナミック・ケイパビリティを持てないということは決してありません。例えば、全社的な経営方針・目標の共有をはじめとする経営層や経営企画部門による主導、エンジニアリングチェーンの強化、継続的にこうした改革に取り組んでいくための人材や仕組みの構築といった取組を一体的に進めていくことにより、ダイナミック・ケイパビリティの強化に取り組んでいくことは充分に可能であると考えます。

―――「ものづくり白書」に取り上げられている事例のなかで、ダイナミック・ケイパビリティを発揮して成功している企業を教えてください。

大川:まず思い浮かぶのは、東京都荒川区にあるタカハシです。従業員5名のゴムパッキンメーカーで、社長がゼロからプログラミングを学び、2008年に生産管理システムを自作しました。製造や発注に関する全業務・全情報をバーコード化したことで、発送した製品のトレースが可能になっただけでなく、業務効率も改善。それまで1時間かかっていた進捗確認も即答できるようになるなど、さまざまな業務を効率化しています。

スマートものづくり実践事例集 株式会社タカハシ動画

大川:効率化以外にも新規事業の立ち上げという点で言えば、以前、このメディア(GEMBA)でも取り上げられた金属加工メーカーの浜野製作所もダイナミック・ケイパビリティが高いですね。子どもと一緒にスカイツリーの模型をつくるワークショップを「アウトオブキッザニア」として開催していて、それに参加する子どもの親御さんが勤める会社から注文が頻繁にあるそうです。町工場と地域をつなぐためにイベントが、販売チャンネルとしても確立されています。

また今回のコロナ禍で、中小製造業全体の意識も大きく変化しました。下の表は、東京商工会議所が23区内の製造業1万1829社を対象に「2020年春の緊急事態宣言前後の課題変化」を調査したものです。「既存顧客との接点・営業」に課題を感じる割合が7.2ポイント増加し、次いで「新たな分野への進出」が4.3ポイント増となりました。一方、「製品の品質」は4.9ポイント、「人材の採用(新卒・中途)」は4.0ポイント、「人材の育成(技能の伝承)」は3.5ポイントの減少です。この結果から、「既存の顧客、人員を守りながら新たな事業を開拓することが大切だ」と多くの企業が感じていることが読み取れます。

052020年春の緊急事態宣言前後の課題変化(引用:東京商工会議所「ものづくり企業の現状・課題に関する調査結果について」)
2020年春の緊急事態宣言前後の課題変化(引用:東京商工会議所「ものづくり企業の現状・課題に関する調査結果について」)

不確実な環境に対応するために、まずできること

――「2021年版ものづくり白書」の方針を教えてください。

石山:まさに検討の最中ではありますが、2021年になった今なお、新型コロナウイルス感染症の影響は続いています。こうした状況下で製造業の競争力を維持するには、DXの啓蒙は引き続き重要なポイントになると思います。我々としても、さまざまなケーススタディを充実させていきたいと考えています。 2050年までの脱炭素社会の実現なども含めて、製造業を取り巻く環境は時々刻々と変化しているなかで、各社様の経営改革やビジネスモデルの転換に役立つ情報をお届けできればと思います。

――最後に、不確実性が高い時代に製造業で悩んでいる方にアドバイスをお願いします。

石山:地域を問わず、「デジタル」をテーマにした勉強会はたくさん開かれています。ですので、必要性やタイミングに応じて政府の支援策等をご活用いただくというのももちろんなのですが、ダイナミック・ケイパビリティを育む最初の一歩として、こういった勉強会に参加しながらネットワーキングを進めることは、非常に良い機会になるかと思います。

特に中小企業の皆様にとっては、最初からオリジナルのものを生み出そうと考えすぎるとハードルが上がってしまうので、まずは同じような課題を持っている他社とネットワーキングして、有用な情報を収集し、参考にしてみるというのが近道ではないかと思います。

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実際の勉強会の様子(提供:大川氏)

大川:ともかくアクションをすることが大切だと思います。頭で考えているよりも、まず、やってみる。試行錯誤の失敗から学ぶことはたくさんあります。現在、ダイナミック・ケイパビリティが高い企業もたくさんの挑戦と失敗をしています。

また、ワークショップにただ参加するのではなく、自ら場を作って主催してみるのも良いのではないでしょうか。やってみたら思ったより簡単だったということもあると思います。

たとえば、センサーのデータを可視化するための簡単なプログラミングは、初心者でも2~3時間で学ぶことができます。私自身、そうしたイベントの参加者と意見交換したりしていると、すごくいいアイデアが思いつくことが多いですね。ぜひ、多くの人と交流を深めてください。きっと、経営課題を解決するヒントが見つかると思います。