「NRF」に魅せられて30年――パナソニック大島誠が考える小売業界の現在地と未来像
小売分野で世界最大級のカンファレンス「NRF 2020 Retail's Big Show & Expo(以下、NRF2020)」が2020年もニューヨークで開催された。このイベントに1991年から継続して参加しているのがパナソニック コネクティッドソリューションズ社の大島誠氏だ。小売業界の潮流を分析し、ソリューション事業に長らく携わってきた大島氏は、「NRF2020」から何を感じたのか。イベントの魅力や歴史、そして小売業界が目指すべき未来についてうかがった。
大島 誠(マック大島)
パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 エグゼクティブ インダストリースペシャリスト
日本での「オムニチャネル」の推進第一人者であり、流通・小売業におけるDX推進のアドバイザーとして活躍。30年近く「NRF Retail's Big Show & Expo」にも参加している“ミスターNRF”。外資系IT企業にて小売業・流通業のソリューション・スペシャリストとして、長年システム導入、業務改革を支援。また、日本のみならずグローバルな小売業の動向や、MDシステム等のIT動向を研究。オムニチャネルの本質を紐解き、大手小売業のオムニチャネル戦略などにも従事。体感型最新小売業視察ツアーも数多く企画、催行している。2018年10月より、パナソニック株式会社 CNS社にて小売業や流通業の現場におけるプロセスの効率化を推進している。
課題解決のためなら手段は選ばない!大島氏が考えるソリューションビジネスの真髄
――まずは大島さんのこれまでの経歴について教えてください。
大島:私が社会人生活をスタートさせたのは平成元年(1989年)です。日本IBMにシステムエンジニアとして入社しました。10年勤務した後に独立し、以来、製造・物流・小売など、おもにサプライチェーンに関連する企業のコンサルティング業務に従事してきました。その一方で、海外の最新ソリューションを日本に広める仕事にも携わっていました。
そうした経験を評価していただいて、2010年9月に日本オラクルに入社。オラクルはアメリカに本社を置く、企業向けソフトウェアのメーカーです。「これからは単に製品を販売するだけでなく、製造業を中心にソリューションを提供するビジネスを展開したい」とのことで、お呼びがかかったわけです。
お客さまの課題をうかがってその解決策を提案するのですが、私は他社の製品でも、お客さまのためになると思ったら勧めていました。「徹底的にお客さまの立場になって考える。お客さま自身になったつもりで、本気で頭を悩ませる」。そうすると、自社の利益を追求することは二の次になってくるんですよ。全力でお客さまの課題を解決することが大切だと、私は考えています。
このポリシーは、2018年10月にパナソニック コネクティッドソリューションズ社(以下、CNS社)に入社してからも基本的には変わっていません。お客さまのためになると思ったら、パナソニック以外の製品も考慮にいれた最適なソリューションをご提案したいと思っています。
――いくら相手のためだとはいえ、他社製品もソリューションに組み込んで提案してしまって、ビジネスとして成り立つのでしょうか?
大島:課題を解決することでお客さまのビジネスが成長すれば、必ずめぐりめぐって自社の利益につながります。少し先のステージをイメージしてほしいのですが、お客さまに信頼され、末永くお付き合いをしていけば、いつかまた困りごとが出てきたときに相談されるでしょう。必ず利益を得られる機会はやってきます。
ソリューションビジネスで大切なのは、お客さまに寄り添い、真にお客さまの立場になって課題や悩みを解決することです。「パナソニックにお願いしたら、解決できた」と喜んでもらえれば、それでいいのです。もちろん、「パナソニック製品の導入=課題解決の最適なソリューション」となるのが理想です。しかし、現実的には当社だけでは解決できないケースもあるはずです。そんなとき、目先の利益にとらわれ無理に自社製品だけを売り込めば、お客さまの信頼を失いかねません。結果的にビジネスは先細りになってしまいます。
お客さまのことを第一に考え、最適なソリューションを提案する。これはまさにCNS社が掲げる「現場プロセスイノベーション」のビジョンでもあります。
NRFイベントは小売業界の1年を決定づける「決起会」
――では、リテール業界における世界最大級のカンファレンス「NRF Retail's Big Show & Expo」についてお伺いします。そもそも「NRF」とは何でしょうか。
大島:少々ややこしいのですが、「NRF」とはイベントを主催する全米小売業協会(The National Retail Federation)のことです。会員数は約160万社。世界最大の小売業団体で、スーパー、百貨店、専門店、外食チェーン、ドラッグストア……などなど、ありとあらゆる「小売」が加盟しています。インターネット通販業者も名を連ねているのが面白いところです。
その全米小売業協会の年頭決起集会がイベントとしての「NRF Retail's Big Show & Expo」の元祖です。第1回が開催されたのは1911年。以来、戦争や大恐慌などに見舞われながらも毎年開催されてきました。その歴史からは、「我々がアメリカ経済を支えているんだ!」という自負が感じられます。
というのも、アメリカでは就業人口の4分の1にあたる約4200万人が小売業に従事しており、戦前から現在にいたるまで国内総生産(GDP)の4分の1を生み出し続けてきました。つまり、小売業界が活性化しないと、アメリカ経済全体が活性化しない。NRFの決起集会はアメリカにとって経済の4分の1を占める小売業界全体のさまざまな問題やルールについて議論する場です。
個人的には、世界最大の規模を誇るアメリカの小売業界のキーマンが年頭に集い、1年間の方針を決定づけるイベントとして捉えています。そのような重要な意味をもつので、今日まで途切れることなく発展的に続いてきたというわけです。
――大島さんが「NRF Retail's Big Show & Expo」に初めて参加したのはいつですか。
大島:1991年です。以来、1995年を除いて毎年参加していて、これまで計28回、1996年からは24回連続で参加しています。小売業界はトレンドに敏感ですから、「いま世界はどこに向かっているのか、世界で何が注目を集めているのか」をつかむためには「NRF Retail's Big Show & Expo」が最適な場です。コンサルティングをなりわいとするうえで大いに役立つため、毎年足を運んでいます。
30年間、小売業界に寄り添い続けた大島氏が語る、業界の変遷
――この30年、「NRF Retail's Big Show & Expo」はどう変化してきましたか。
大島:展示規模が大きくなり、当初の「決起会」という役割より、技術の見本市としての意味合いが年々、強くなっていると感じます。109回目となる2020年は、世界100か国以上から4万人が参加しました。私がはじめて参加した1991年はせいぜい5000~6000人程度。会場はさほど大きくなくて、展示スペースもごくわずか。会場近くのヒルトンホテルのホールで、いくつかセッション(講演)を聞いたことを覚えています。
当時のセッションで印象に残っているのは、「流通・物流の効率化」というテーマで、「ハンガー納品に使うハンガーを業界で統一しよう」と盛んに議論していた光景です。前述したように、もともとこのイベントは小売の代表者たちが業界の課題を報告して、その解決策について話しあう場でした。製品や技術の展示は、あくまでもその添えものという位置づけです。しかし、10年ほど前から「議論」と「展示」の比重が逆転したように思います。
【用語解説】
ハンガー納品
衣料品を1着ずつハンガーに吊した状態で輸送する方法。シワや型崩れなどを防止し、そのまま店頭に並べられるというメリットがある。
――なぜ、そのようになったのでしょうか。
大島:ITが登場し、さらに世の中全体の技術進歩が加速していることが大きいと思います。これまでの流れを振り返りながら、ご説明しましょう。
21世紀を迎えた頃からECが台頭し、「リアル店舗とECをどう組み合わせていくべきか」ということが議論の中心になりました。
当時のキーワードは「クリック・アンド・モルタル(Click and Mortar)」です。実店舗での商品販売を行う企業を意味する「ブリック・アンド・モルタル」(Brick and Mortar)に掛けたもので、「クリック」はEC、「モルタル」はリアル店舗を表し、インターネットと実店舗や流通をかけ合わせた販路を形成する企業やビジネスです。
その後、徐々にECとリアル店舗のすみ分けが進んでいき、2007年にスマホが登場したことで、携帯端末を商取引に結びつける「モバイルコマース」に注目が集まります。そして2011年には、ネット、リアル店舗、スマホなどを活用することで、いつでもどこでも消費者と小売がつながる「オムニチャネル」という形態が注目されました。この頃から、これまで小売業界とは関わりのなかったソフトウェア、ハードウェアのメーカー各社の参加が増え、「NRF Retail's Big Show & Expo」は新技術のPRの場に変わってきたように感じます。そして2017年にAmazonがレジレス店舗「Amazon Go」を出展したことで、完全に「技術の見本市」になりました。ここ1~2年は、「AI」「IoT」「ロボット」が展示会場の大部分を占めています。
こうした流れを見ると、IT技術の進化により年々小売の裾野が広がってきたことがわかります。その結果、小売業界に新規参入する企業が増え、展示会の規模が大きくなったのだと思います。実際、今年は新規参入のスタートアップ企業が何十社も出展していました。
しかし、こうした「技術先行」の流れがいいのかどうかは疑問です。技術はあくまで、ビジネスアイデアの実現や課題を解決するための手段です。技術ばかりが注目されて、ビジネスアイデアや課題意識が後づけになり、手段と目的が入れ替わってしまうことには違和感を覚えています。
小売の現場でも「技術先行」のケースは見られます。たとえば、「カメラやセンサーを導入してデジタライゼーションを進めなければならない」という方がよくいますが、具体的な活用方法が決まっていない場合が多い。「カメラでお客さまの動きを記録して売り場づくりに活かしたい」とか、「天候と来客数の相関データを集めて納品数に反映したい」とか、まず目的をはっきりさせてから、どの技術を用いるかを吟味すべきではないでしょうか。
「NRF 2020」から感じた、小売の未来を切り拓く3つのキーワード
――大島さんが今年の「NRF Retail's Big Show & Expo」に参加して感じた「小売業界のトレンド」を教えてください。
大島:毎年、参加した感想をレポートにまとめているのですが、その際に今後小売業界がめざすべき方向性を3つのキーワードで示しています。たとえば、昨年のキーワードは「Amazonへの対抗」「AI、ロボティクス」「人材」でした。今年は「カスタマイゼーション」「人材育成」「働く楽しさ」の3つでしょうか。
「カスタマイゼーション」とは、「消費者の好みに合わせて、それぞれ最適なサービスを提供せよ」というメッセージです。似た言葉に、個人の趣味・嗜好をデータ分析してレコメンドする「パーソナライゼーション」があります。わかりやすい例はAmazonです。商品を買うとその履歴から「こちらもおすすめです」「この商品を買った人は、この商品も購入しています」と提案されますよね。購入履歴からAIが自動で分析して商品を勧めてくるわけですが、それはつまり、「同じ商品を購入している人には同じレコメンドが届く」ということです。
しかし現実には、趣味、嗜好がまったく同じ2人というのは存在しません。必ず何かしらの差異がある。1億人いれば1億通りの「好み」があり、しかも人間ですから、体調や気分などによっても、「好み」は微妙に変化するはずです。そんな繊細な「好み」をとらえ、「“この瞬間のその人”にぴったりの商品」を提供するのが、私の考える「カスタマイゼーション」です。これまでのマス・マーチャンダイジングとはまったく逆の発想で、実現するのは簡単ではありませんが、あらゆるニーズが多様化しているいま、小売業者は挑戦しなければいけないという課題意識を感じました。
――どうすれば実現できるとお考えでしょうか?
大島:2つ目のキーワードの「人材育成」がカギになると思います。
現時点ではロボットやAIによる「カスタマイゼーション」の実現は不可能です。AIやロボットを使うには、データを読み込ませて学習させることが必要ですが、「1億人の1億通りの好み」への対応が可能になるデータは、どうやっても手に入りません。
結局、「カスタマイゼーション」を実現できるのは、「人間」です。消費者とコミュニケーションをとりながら「好み」を探りあて、ぴったりの商品を提案するというのは機械にはできない仕事です。
ですから、AIやロボットには「レジ」や「品出し」といった単純作業をどんどん担当してもらい、人間は接客に集中する。人間は人間にしかできない仕事に集中することが、カスタマイゼーションの第一歩だと思います。ビジネスの世界では、いろんな業界でこれからは「個の時代」であると言われていますが、小売業においても全く同じ潮流を感じています。
――AIやロボットの力を借りて、人を育てるということですね。
大島:そのとおりです。ここ数年のNRFのセッションを聞いて、小売業界では「人材育成」が課題になっていると感じました。
アメリカは「単能工」の考えが根強い国です。たとえば、レジ担当として入社したらずっとレジ担当、清掃員として採用されたら生涯、清掃員というのは普通です。単純作業に集中することで早く仕事を覚え、能率があがるというメリットはもちろんありますが、単能工ばかりの組織は柔軟性に欠け、多様化する消費者のニーズに応えられません。単能工の制度を見直し、キャリアパスを含めてどう人を育てていくかが、いまアメリカの小売が抱えている課題です。
――では、3つめのキーワード「働く楽しさ」について教えてください。
大島:従業員が生き生きと働くことが、結果的に企業の利益につながるという考え方が広まっています。欧米では従業員エンゲージメントとして大きく取り上げられています。無愛想に接客されるよりも、愛想よく笑顔で接客してもらったほうが、商品を買いたくなりますよね。そのために、アメリカのスーパーでは、よい働きをしたスタッフ名を店頭に貼りだして表彰しています。バックヤードではなく店頭というのがポイントで、スーパーを訪れた消費者に対して「この従業員は素晴らしい働きをしている」ということを知らせています。従業員の笑顔が少しでも増えるように、評価をして報償を出し、モチベーションをアップさせているわけです。
日本では、スーパーやコンビニなど、生活と密接に関わっている小売の従業員は元気がないと感じてしまいます。もっと、生き生きと楽しそうに働いてほしい。そのためには技術導入により従業員の負担を減らすことも大事ですが、待遇改善こそが必要ではないでしょうか。
――小売従業員の待遇は、アメリカと日本のどちらがいいのでしょうか。
大島:アメリカだと思います。物価や保険制度の違いなどがあるため単純には比較できませんが、アメリカのほうが最低賃金は高い。
ニューヨーク市などの最低賃金は約15ドル(約1660円)です。また、全世界でも約200万人以上雇用している米国内最大小売のウォルマートの最低賃金は11ドル(約1200円)で、最大1000ドル(約11万円)のボーナスを支払っています。
一方、日本はといえば、東京都の最低賃金は1013円でニューヨークの6割程度。コンビニ、スーパーの時給の全国平均は900円前後です。
いま日本の景気がパッとしないのも、この賃金の低さが根底にあると思います。従業員は消費者でもあるということを、もう少し小売の経営者は意識すべきではないでしょうか。経済の4分の1を占める小売従業員の賃金が上れば、消費も活性化するのではないかと考えています。
――最後に日本の小売業界に対する思いをお聞かせください。
大島:いま、あらゆる産業分野で「デジタルトランスフォーメーション」(DX)の必要性が叫ばれています。小売業でも間違いなくDXは必要です。ただ、目的もなく技術導入しては、単なる「デジタル化」で終わってしまい、ビジネスを変革するまでには至りません。小売業の経営者のみなさんは、まず、どんな課題を解決したいのか、どんなビジネスモデルを構築したいのかを明確にすることに力を注いでいただきたいとかんがえています。