DX推進のカギは中小製造現場の人材育成にあり!IoTのスペシャリストを育む「ファクトリー・サイエンティスト育成講座」

DX推進のカギは中小製造現場の人材育成にあり!IoTのスペシャリストを育む「ファクトリー・サイエンティスト育成講座」
取材・文:杉原由花(POWER NEWS)、写真: 渡邉大智

中小製造業の現場経験者がIoTの知識や技能を持ち、経営判断をアシストする「ファクトリー・サイエンティスト」育成の取り組みが始動。第1回の育成講座が2019年8月下旬に開催され、最終日には記者会見も行われた。記者会見には、講座を主催する慶應義塾大学SFC研究所ソーシャル・ファブリケーション・ラボ・田中浩也教授に加え、協賛企業の由紀精密、大坪正人・代表取締役社長、ローランド・ベルガー・長島聡・グローバル共同代表兼日本法人代表取締役社長、協力企業のベッコフオートメーション日本法人・川野俊充・代表取締役社長の4名が登壇。ファクトリー・サイエンティストの必要性や講座の内容、成果について語り合った。

中小製造企業内にIoTの専門家を育て、ものづくりのデジタル化を推進

日本の企業のうち、中小規模事業者が占める割合はおよそ99.7パーセントで、なかでも製造業はかなりの部分を占める。国の産業の支えともいえる中小製造業だが、現場ではデジタル化が進まず大きな課題となっている。そんななか、状況を打開しようと始められたのが「ファクトリー・サイエンティスト」育成の取り組みである。

デジタルファブリケーションとインターネットを組み合わせ、さまざまな問題解決を図るための研究を行っている慶應義塾大学教授・田中教授は、ファクトリー・サイエンティストについて次のように説明した。

「ファクトリー・サイエンティストとは人材に関する新しい概念で、具体的には次の3つの能力を備えた中小製造企業内のIoTのエキスパートを示します。1つ目は、IoTデバイスや計測機器、装置などを使い、現場から適切な方法でデータを取得する『データエンジニアリング力』。2つ目は、収集されたデータを他のデータと照らし合わせて、有用な情報を紡ぎ出す『データサイエンス力』。3つ目は、得られた情報を元に戦略を練り上げ、データを説得材料としてビジネスに活用する『データマネジメント力』です」

慶應義塾大学環境情報学部 教授 田中浩也氏
慶應義塾大学環境情報学部 教授 田中浩也氏

「技術だけでなくこの3つを総合的に伝え、製造現場を改善するための具体的な戦略を立てられる、未来の原動力を生み出せる人材を育成したいと考えています」

中小製造企業の従業員にセンシングやデータ解析、データ活用などのスキルを学んでもらい、企業がデータに基づく最適な経営判断をできるように促す。要するに、ファクトリー・サイエンティストを育成して、工場の統括責任者の片腕としてデジタル・トランスフォーメーション、つまりデジタルものづくりへの移行を担ってもらうことで、製造業界を底上げしていこうというわけだ。

ファクトリー・サイエンティストの育成こそがDX推進の近道

ファクトリー・サイエンティスト育成講座は4泊5日の合宿形式で行われ、定員いっぱいの21名が参加。顔ぶれは、中小製造業に従事する20代から40代前半が中心で、大手企業の社員も混ざっていた。

田中教授の話に聞き入る参加者たち
田中教授からIoTについての講義を受ける参加者たち。

講座は参加者を5つのチームに分け、実践形式で行われた。まずは参加者自身の工場で実際に起こっている問題を洗い出して整理し、問題を引き起こしている物理現象を把握する。センサーでその物理現象の情報を取り、経営に関わる情報を抽出して、グラフにするなどの加工を行い、経営者に説明できる資料にまとめていく。

主な指導に当たったのは、多様な工作機械を備えた市民工房ネットワーク「FabLab」のメンバーや慶應義塾大学SFC研究所の大学院生、由紀精密のエンジニアなど7名の講師陣。記者会見に登壇したメンバーや講座を後援する経済産業省の職員、マイクロソフトの社員による特別講義も行われた。

なぜこのような講座が現在の製造業に必要だと考えたのか。田中教授は振り返った。

「私はこれまで、デジタルデータをもとにモノを制作する技術であるデジタルファブリケーションの研究を行ってきました。3Dプリンタは気軽に使える機器へと技術革新し、さまざまな分野との接着剤として新しい可能性を開くものになりました。いつかその成果を製造業に役立てたいと考えていたところ、大坪社長と話し合う機会があり、ファクトリー・サイエンティスト育成講座の構想が浮かびました。2018年3月のことでした」

育成講座に協賛し、カリキュラムの監修を務めたのが、神奈川県茅ケ崎市の精密切削加工メーカー、由紀精密だ。自社開発のシステムで、いち早く工場のデジタル化を実現させたことでも知られている同社だが、大坪社長はファクトリー・サイエンティストの必要性について付け加えた。

「安全確保や稼働状況の把握、機械の故障の予知など、製造現場には課題が山積しています。その多くがIoTの活用で解決するとわかってはいるものの、ほとんどの中小企業はIoTシステムをうまく導入できずにいます。誰に、どのように相談していいのかわからず、いざITベンダーに相談して提案を受けたとしても、見積もりが高すぎて、発注していいものかなかなか判断できずにいるのです。

もしファクトリー・サイエンティストが工場内にいれば、課題を熟知した上で、それを解決するためのデジタルツールを自らの手で作れるようになります。その方法でこそ、IoTは工場内のツールとして役割を果たすでしょうし、IoT化を推進する近道になると思うので、現場内にIoTの知識を持つ人材を増やすプロジェクトを立ち上げました」

株式会社由紀精密 社長 大坪正人氏
株式会社由紀精密 社長 大坪正人氏

「なにより、現場の生産性を上げていきたい。IoTを活用して現場の課題を解決していける人をどれだけ増やせるか。それが日本の製造業の生産性を向上させるために、いまとても重要だと思っています」

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学ぶだけではなく、すぐに現場で使える講座

IoTに関する教育プログラムにはさまざまあるが、ファクトリー・サイエンティスト育成講座のカリキュラムはどのような特徴を持つのか。欧州最大の経営戦略コンサルティングファームであり、オープンイノベーションの促進に力を入れているローランド・ベルガーの長島社長はこう話した。

「今回の講座でみなさんは、クラウドサービスの活用法やセンサーのつなげ方など、デジタルツールの使い方のみを学んだのではなく、経営者と話すためのプレゼンテーションの訓練までを一気通貫で行いました。これは大きな特徴だと思います」

ローランド・ベルガー 社長 長島聡氏
ローランド・ベルガー 社長 長島聡氏

大坪社長もこう解説する。

「研修では、現場の環境をデジタル化するセンサーなどのIoTデバイスの基礎に加え、データを受け取るクラウドなどのサーバー側のシステムの基礎、データ加工のツールやアプリケーションの活用法について伝えました。さらに、そのノウハウを基に、問題解決のためのIoTシステムを実際に作成。システムにより得られる効果をプレゼンテーションとして発表してもらいました。個々のデジタルツールの使い方を教えるプログラムはたくさんあると思いますが、今回の講座のように、IoT活用の一連の流れを学べるプログラムはめずらしいのではないでしょうか」

ファクトリー・サイエンティストの輪を広げ、IoTを身近で当たり前のツールに

初の開催を終えたファクトリー・サイエンティスト育成講座。どのような成果が見られ、また、今後どのように展開される予定なのか。

「参加者それぞれの工場で起こっている問題の解決に向けて、IoTを活用する手段を実践的に学んでもらったので、研修を通して作成したシステムやプレゼン資料は、そのまま工場で使えます。みなさん、具体的にどうコストを下げるか、あるいは品質を上げるかに役立つソリューションや戦略を作り上げていました。経営者にプレゼンすれば成果が認められるでしょうし、ファクトリー・サイエンティストであることにきっと誇りを感じてもらえると思います」(長島社長)

ドイツの制御機器大手、ベッコフオートメーションの川野社長はもう1つの成果について語った。

「当たり前に使えるツールとして、IoTを身近に感じられるようになった方が多かったようで、その点もよかったです。IoTは難しいという先入観が、研修により払拭されたのでしょう。『ファクトリー・サイエンティストのコミュニティを作って仲間を増やして、情報交換しながらさらにノウハウを磨いていきたい』という声もたくさん聞かれました。コミュニティの輪が広がり、若い力が集結して製造業を盛り上げていってくれることを楽しみにしています」

ベッコフオートメーション 社長 川野俊充氏
ベッコフオートメーション 社長 川野俊充氏

ファクトリー・サイエンティスト育成講座の今後について、長島社長はこう述べた。

「現場が疲弊しているというニュースも多いですが、この取り組みには、それを変えるインパクトがあると信じています。今年のように年間21名のファクトリー・サイエンティストを育成するだけでは少ないので、数百人、数千人に増やせるようチャレンジしたく、運営方法について議論しています。ファクトリー・サイエンティストをただの技能資格としてではなく、思想、考え方を含んだ“価値のあるもの”として大切に育てていきたいと考えています。

ですから、ただスポンサーを集めて宣伝するというやり方ではなく、仲間が仲間を呼んで、いつの間にか拡大している、という形がいいと構想しています。例えば、生徒がゆくゆくは先生になり、ノウハウが波及していくなどでしょうか。じきにおもしろいビジネスプランを出せると思うので、ご期待ください」