リアル下町ロケット「由紀精密」快進撃の裏側ーー第二創業で売上は4倍
経営危機に陥っていた小さな町工場が、第二創業によりV字回復。今やフランスに子会社をもつなど飛躍的な成長を遂げ、注目を集めている。神奈川県茅ケ崎市の精密切削加工「由紀精密」だ。東京大学大学院で機械工学を専攻した三代目、大坪正人社長(42)は、業種を電気電子から航空宇宙や医療など先端分野にシフト。取引先には大手航空機メーカーほか、JAXA(宇宙航空研究開発機構)や宇宙ベンチャーが並び、まさにリアル下町ロケットである。大坪社長が入社してから、売上高は平均年10%のペースで伸び続け、約4倍にまで到達したというが、どのようにして業績を拡大させたのか。また、そのために活用したデジタル技術とは。
積み上げた技術を存続させるため家業の立て直しを決意
――由紀精密は1950年の創業から、電気・電子関連のねじ作りを専門としていたそうですね。大坪社長の入社後は、航空宇宙分野に進出するわけですが、ねじ作りとはずいぶんかけ離れているように思われます。どのような経緯で参入して、家業を立て直したのですか。
大坪:由紀精密は祖父、大坪三郎が創業した精密切削加工の工場です。祖父から父に代替わりした後もずっと、大手電機メーカーの下請けとして、公衆電話や通信機など機械部品を量産してきました。
私はといえば、特に家業を意識しないまま東京大学へと進学し、大学院修了後は金型の高速製造で知られるインクス(現SOLIZE、東京都・千代田区)に入社しました。大学で機械工学を専攻していたこともあり、インクスでは入社1年目から開発部に配属され、ものづくりに明け暮れる充実した毎日を過ごしていました。しかし、入社から6年後、32歳のとき由紀精密への転職を決意しました。
というのも、部品の需要がなくなり、売り上げがガタンと落ちてしまったため、家業の経営はギリギリまで傾き、2代目である父は体調への不安も抱えていたのです。そうした状況を目の前に、「親の会社をなんとか立て直さなくては」と強く感じました。そこから家業立て直しのための戦いが始まったのです。
自社の強みを発信し、航空宇宙産業への参入を実現
――どのような道のりだったのでしょう。
大坪:まず、設計から製造、検査までを一貫して行えるよう、開発部を立ち上げました。私自身が前職で研究開発に携わっていたことや、図面を描くのが好きだったことがきっかけでしたが、何よりも与えられた仕事をこなすだけでは競争力を高めていくのが難しいと考えたからです。
また、お客さまの代わりに図面を描く、あるいは作図のアドバイスをすれば、コストダウンと短納期が実現するとも思いました。加工を知っている人が書く図面は、安く、早く加工できるものだからです。そうして築いた社内一貫体制の方向性は当たり、現在、売り上げの約3分の1を開発部が関わる仕事が占めています。
さらに、自社の強みを知るため、取引先企業にアンケートを取りました。なぜ60年間も存続してこられたのか。その理由を探ることで、事業を壊してから立て直すのではなく、強みを活かし業績を伸ばしていこうと考えたのです。そして、アンケートの結果明らかになったのは、「品質に対する信頼性」が高いということ。確かに精密な加工ができる機械が導入されていたし、品質管理も整っていました。でもこの品質が当たり前だと思っていたばかりに、この結果は盲点で、自社の大きな強みに気付かされました。
それで、強みを活かせる業界はどこかと考え、航空宇宙産業向け部品の受注獲得に乗り出しました。それらの部品は、高い安全性の確保が必要で、品質の高さが重視される分野だと思ったからです。また、少量高付加価値の特殊部品は作るのが難しく、価格の安い海外へ生産移管される心配が少ないのも利点でした。
そうはいったものの、弊社の切削加工技術が航空宇宙産業分野で具体的にどう役立つのか、検討もつきませんでした。ならば、私たちの技術をとにかく多くの人に知ってもらおうと、2008年、「国際航空宇宙展」に出展することにしました。国内に部品を製造する企業は多くありすぎて、営業をしてもなかなか引き合いにならないので、展示会で興味を示してくれる企業を探そうと考えたわけです。展示会には、ただ出るだけではダメなので、技術力を存分にアピールできるユニークな加工サンプルを用意して臨みました。
大坪:しかし、予想通りそう簡単に参入できるはずがありません。そこで展示会への出展と並行して、WEBサイトの刷新など情報発信に力を入れたのに加えて、航空宇宙・防衛産業の品質マネジメントシステムに関する国際規格であるJISQ9100を苦労の末、取得しました。そうした努力を重ねるうちに、あるメーカーから「やってみないか」と声がかかり、それを機に、航空機部品の受注がじわじわ伸び始めました。
宇宙分野の仕事は、WEBサイトからの問い合わせがきっかけでした。人工衛星専業のベンチャー「アクセルスペース」からの超小型衛星用の部品製造についての相談で、民間気象情報会社「ウェザーニューズ」からの受注案件とのことでした。この件は、弊社の開発に関する提案力や品質に興味をもってもらい、取引へとつながりました。人工衛星の部品のような、高品質な単品生産には、隅々まで目が行き届く中小企業のサイズが合っているし、宇宙分野は狭い業界なので紹介も多いことから、現在も事業は拡大しています。
JAXAとはもう10年ほどの付き合いです。先日、無人補給船「こうのとり」から小型回収カプセルが地球に帰還してニュースになりましたが、姿勢制御に使われる推進系の部品は弊社が作りました。3次元プリンターを用いてチタンを固めるという非常にチャレンジングな取り組みで、設計段階から携わり、3年間をかけてJAXA や東京大学などと共同開発しました。
最先端の設備と日々の技術開発が代わりのない仕事を生む
――航空機部品や人工衛星の部品の製造となると高い生産技術が必要でしょうが、どのように蓄積しているのですか。
大坪:生産技術に関しては、常に最先端を追っています。弊社で請け負っている航空宇宙など先端分野の仕事は、それに見合う先端技術がないと成り立たないからです。
とはいえ、その加工は、一般的に抱かれている“職人技”のようなイメージとはまるで違うものです。実は、精密加工の領域では極力、人の手は使いません。数ミクロンの誤差さえも許されない世界なので、手作業では到底行えないのです。ですから道具である工作機械や刃物などの工具については常に新しいものの情報を仕入れています。
大坪:そのうえで、道具をどう使いこなして加工するか、生産技術について日々研究しています。高性能の機械を使うので正確には動くけれど、機械だけでなく、工程や道具、削る金属の材質など、さまざまな要素の組み合わせで初めて製品は完成します。そのため、あらゆる知識が必要で、研究は欠かせないものなのです。
研究は2人体制で行っていますが、これは中小製造業では珍しいことかもしれません。そもそも、ものをそろえるのはお金をかけさえすればできることなので、使いこなすノウハウこそが競争力になります。つまり、他社と差別化を図るためにも技術開発は重要であり、弊社が力を入れるのはそのためです。
――工作機械やプログラムなど、精密加工の職人はデジタル技術を使いこなせないといけないのですね。御社ではほかにも何かデジタル技術を活用していますか。
大坪:随所で活用していますが、一般的なものばかりです。一例としては、工程管理システムを自社で作りました。取引先や売上の拡大にともない、事務処理量はどんどん増え、多品種少量生産に業態を転換したため業務手順は複雑になったため、いずれ人手が足りなくなるのは目に見えていました。
そこで、業務の手間を減らし、かつ正確に工程管理を行えるようにするため、業務機能別だったシステムを連携させようと考えました。デジタル技術の活用による効率化です。
連携のために使用したプラットフォームは、法政大学の西岡靖之教授=現在、インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ(IVI)理事長=が開発した「コンテキサー」です。これは、小さな会社でも自社でシステムを構築できるよう開発されたツールで、受発注を管理するソフトや工程の進捗を管理するソフト、在庫管理ソフトなど業務ごとにバラバラになっていたデータを、簡単に連携できました。また、自社開発だと、外部のシステムを導入するのに比べてコストを大幅に抑えられるのもメリットです。
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人の可能性を広げる優れた技術を、後世に残していくために
――強みを再発見して業態を変え、設計から製造、検査までの一貫生産体制を整えて、技術力を磨き、さらにデジタル化を推進。そのように大変革を行い、由紀精密を立て直されたのですね。今後はどのような目標に向かわれますか。
大坪:ものづくりの優れた技術を後世に残していくために、何ができるだろうと考えています。例えば、すごくいいエンジンを作る技術があったとしても、電気自動車ばかりが売られるようになったら、技術は消えてしまいます。そのようにして、いい技術がなくなってしまうのは残念なことです。
では、そうなることを防ぐためにどうすればいいかというと、技術のほかの使い道を見つけることです。技術を展開して用途を変えれば、また別のニーズがあるかもしれません。
由紀精密も、積み上げてきた技術の用途を変え、活かすことで、ここまで盛り上げてきました。金属を精密に削る切削加工という素晴らしい技術をどう活用し、どう社会と結び付ければ人の可能性を広げ、世の中をよくできるのか。それが常にある課題です。宇宙といった、従来行けなかったところに行けるようになることも人の可能性の広がりであり、私たちが苦労をしてでも宇宙産業に関わり続けるのはそのためなのです。