東京大学・越塚教授が語るサプライチェーンの未来ーーIoTとAIで「人のため」の未来を実現する
モノ同士がインターネットを通じて自律的に交信を行う「IoT」(Internet of Things)。1999年に米国で生まれたこの概念は、日本のサプライチェーンの現場で現在、どのような形で実用化が進んでいるのだろうか。東京大学大学院情報学環副学環長の越塚登教授は「IoTやAIの導入によって達成できるゴールは、基本的にどの業界においても共通しています。今後、私たちに求められるのは、機械に任せるべき仕事を正しく認識し、人にとって最適な環境を整えていくことです」と話す。IoT導入の事例から見えるその本質と、未来に向けての効果的な活用方法とは。
越塚登(こしづかのぼる)
1966年生まれ。東京大学大学院情報学環 副学環長・教授、ユビキタス情報社会基盤センター長。東京工業大学助手、東京大学大学院助教授などを経て、2009年より現職。研究テーマはユビキタスコンピューティング、リアルタイムシステムなど。東京大学大学院情報学環の越塚登研究室では3名の教員と7名の研究員と共に、データの利活用によって産業分野や社会にイノベーションを起こすための研究を行っている。
発展途上にある第一次産業のIoT
――前回の記事では、IoTの誕生から現在に至るまでのお話を伺いました。現在は主にどういった分野で導入されてきているのでしょうか。
越塚:サプライチェーン業界で最も導入が進んでいるのは「製造」の現場です。センサーを張りめぐらせて、リアルタイムでデータを取得しながら製造作業を進めていく。工場においてはすでに多くの企業がIoTを取り入れています。実は、今はまだ発展途上にあって将来的に高い効果が見込めるのは、農業や漁業といった第一次産業における活用です。
現在、私の研究室で注力しているプロジェクトの1つに、高知県の園芸農家との共同研究があります。高知県は東京から遠いために、関東圏の農家と比較して輸送コストが高い。たくさん作ればその分だけ利益が出るという単純な話ではなく、数を作っても価格の面で埼玉や神奈川、千葉でとれた野菜に負けてしまうのです。競争力を持つためには価格以外で付加価値を付けなくてはならない。それが「出荷時期のコントロール」です。
越塚:ナスのビニールハウスで、IoTを活用した栽培の実験をしています。ナスは花が咲いてから実が収穫できる状態になるまでにおよそ2週間かかり、その期間を決める条件の1つが「温度」です。「400度日」という言葉があって、例えば1日の平均気温が20度であればおよそ20日間、10度であればおよそ40日間かかる計算です。
つまり温度を制御すれば、出荷時期と生産量を予測してコントロールすることが可能になるはずです。IoTビニールハウスでは温度センサーをはじめ、日照や二酸化炭素量などを観測するセンサーを設置して日々の生育環境を記録し、得られた各種データを人工知能が解析して出荷予測を立てます。
――なぜ出荷予測によって野菜の付加価値が上がるのですか。
越塚: 農家がスーパーなどの小売店と契約する時、事前に「この時期にこれだけの量を出荷できる」と約束した場合と、「その日にたまたま出荷できた分を引き取ってほしい」と言って売る場合では、取引価格がまったく違うからです。小売店の立場としては入荷量を正しく管理したいので当然、約束した方が価値は上がる。とはいえ、農家が不確定な予測を元に契約すると、今度は予測が外れた時に埋め合わせをしなければならないリスクが発生するのです。精度の高い出荷予測は、経営上の重要なポイントになります。
越塚:さらに農家が出荷のコントロールをすることができれば、例えば小売店からの「来週は埼玉の農家からの出荷が少ないから多めに仕入れたい」といった要望に応えることが可能で、より競争力が高まります。
すべての課題に共通する「数えられない」問題
――農業の現場において、人による出荷予測が難しい原因は何でしょうか。
越塚:一番の要因は「数えられない」ことです。人の能力では数量を正確に把握することが非常に難しいのです。
ナスの出荷予測においては、気温や天候条件はもちろんのこと、ナスの株の状態などを見て出荷の時期や量を推測します。株の状態とは、例えば花が咲いたかどうかです。しかし、ビニールハウス内にある何百株ものナスの花を毎日細かく確認できるでしょうか。これを人がやろうとするとあまりにも時間とコストがかかり、現実的ではありません。結果的に農業者の勘や経験に頼ることになり、不確定要素が大きいのです。仮に、こうした出荷予測をAIが行うとしても、元のデータとして数量の正確な把握が必要となります。ナスだけではありません。他の作物に関しても同じです。
そこでIoTの活用です。人では時間のかかる作業でも、センサーやカメラなどのセンシング技術であれば自動的にデータを採取して蓄積できます。
――「数えられない」ことに起因する問題は、他の業界でも発生しているのですか。
越塚:これは農業だけでなく、あらゆる業界に共通する課題だと言えます。農林水産業においては特に顕著で、例えば漁業では、同じく高知県のタイの養殖業者の取り組みがあります。
タイの養殖漁業では、生簀(いけす)という水面を網などで区切った場所で魚を育てます。「10メートル四方の生簀に3000匹のタイがいる」ものとして給餌などの作業をするのですが、これはもちろん数えたわけではありません。もともと1万2000匹の稚魚がいて、それらがある程度成長した時点で4分割したので、おそらく3000匹程度だろうという「憶測」に過ぎません。
越塚:養殖漁業では魚の餌代が全体のコストの7割から8割を占めています。センシング技術で数を正確に把握することで、この部分の無駄を大幅に削減できる可能性があります。ここにさらにAIを組み合わせて、膨大なデータから有用なデータのみを抽出して予測の精度を高めていくというのが、ここ数年のIoTにおけるトレンドです。
IoTとAIの組み合わせによる技術の本質は「数える」「計測する」ことにあります。数えられないことによる現場の問題がもっと顕在化していけば、サプライチェーンでの活用の可能性は今後さらに高まっていくでしょう。
IoTが実現する未来の前提は「人のため」であること
――IoTの活用は、AIの導入でより高度な段階に進んだということですね。
越塚: AIの発達によってコンピュータができる仕事は劇的に増えました。人が行うと不都合が起こるような仕事は、もはやAIに頼めばいいのです。
IoTやAIの活用における最も根本的なメリットは、効率が上がって生産性が高まり、人が楽になるということです。あくまで「人のため」の活用でなくてはならない。社会課題である人手不足の解消や働き方の改善、サービスの高度化などが本流の使い方です。「人の仕事をAIが奪うのでは?」という議論もありますが、それはこの考え方からずれています。
越塚:「人手が足りない」という問題は多くの場合において、実際に人がいないのではなく、労働環境や待遇が悪いために人が集まらないことが問題の本質です。条件が良い魅力的な仕事は、常に買い手市場です。であれば、コンピュータの活用でその職種をより魅力があるものに変えてしまえばいい。
例えば、米国で展開されているレジなし店舗「Amazon Go」が目指す未来は、店員の仕事をなくして人件費を抑えることではありません。レジ打ちという単純作業はすべてコンピュータに任せて、店員は客を案内する「コンシェルジュ」として働いています。人の仕事が高度化したために当然、賃金などの待遇も上がる。コンピュータとの理想的な付き合い方です。
――日本企業がIoTの導入を進めるにあたり、日本ならではの可能性はどのような点にあると思われますか。
越塚:サービスのクオリティの高さは日本企業の大きな強みです。例えば日本の宅配におけるサービスは、決まった時間に正確に届けられる、丁寧な輸送、無料での再配達など他の先進国と比較しても圧倒的に優れています。こういった長所を活かすIoTの方向性を探っていくことが不可欠です。
そのためにはまず、人間とコンピュータの役割分担を明確にしなくてはならない。日本人は「質の高いサービスはすべて人間が行うべき」と考えてしまう傾向がありますが、実際は機械に置き換えた方が効率的なサービスも数多く存在します。人の労働の質を高めるためのIoTでありAIなのです。
さらには世界に向けて、きめ細やかなサービスの良さを発信し、より付加価値を高めていく。日本は製品を売ることに関しては成功を収めましたが、サービスを売ることにはまだ不得手な部分がある。そこに日本の活路があると言えるでしょう。