“技術者であり続けるCTO”榊原彰の行動原理 「大好きなテクノロジーで人の潜在能力をもっと引き上げたい」
「現場から 社会を動かし 未来へつなぐ」をパーパスに掲げ、日々それぞれの現場を探求するパナソニック コネクトのリーダーたちが原体験や行動原理を語る「現場の探求者たち」。今回は、コードを書く「技術者」としての姿勢を忘れることなく、経営とテクノロジーの融合に挑むCTO榊原彰のインタビューをお届けします。
榊原は、「Think Big, Act First, and Fail Fast」をスローガンに掲げ、技術者たちの積極的なチャレンジを促しています。その背景にあったのは、コンピューター黎明期から肌で感じてきた変革のダイナミズム。自身のキャリアを振り返りながら、テクノロジーで実現したい未来について、探求の軌跡を語っていただきました。
榊原彰
パナソニック コネクト株式会社 執行役員ヴァイス・プレジデントCTO 兼 技術研究開発本部 マネージングダイレクター
1986年、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。2005年、同社ディスティングイッシュト・エンジニア(技術理事)、2016年より日本マイクロソフト株式会社に執行役員 最高技術責任者に就任。2018年、マイクロソフトディベロップメント株式会社 代表取締役社長(兼務)に就任。
2021年11月より、パナソニック コネクト株式会社の前身となるパナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社CTOに就任。
初めてコンピューターに触れ、直感を信じて選んだ技術者への道
――まずは榊原さんが技術者を志したきっかけを教えてください。
榊原:昔から自分は、何か物事を決めるときには、「好きか/嫌いか」「面白いか/つまらないか」という直感を大切にしてきました。エンジニアになったのも、大学で初めてコンピューターに触れて、自分に合っていると直感したからです。
弘前大学の経済学科で、公共経済学と経済数学、今でいう金融工学を学びました。他大学からの客員教授による特別講義がシリーズで開催され、その一環で先物取引などの金融派生商品のリスク計算をするプログラミングに挑戦してみたら、とにかく面白くて。その頃はCOBOLやFortranといった言語でコードを書いていました。それまでは、漠然と将来は証券会社にでも入ろうかなと思っていたのですが、この体験をきっかけに、エンジニアになりたくて、IBMに入社しました。ちょうどバブル経済前夜という頃でしたね。
――文系のご出身なんですね。意外です。
榊原:でも、子どもの頃から機械いじりは好きでしたよ。時計を分解して、ネジをなくしては親に怒られていました。秋田出身なんですが、父親の仕事の関係で県内を転々としたあと、小5のときに青森の十和田に移りました。背が高かったので同級生に誘われてバスケ部に入って大学までやっていましたね。2年生の時に膝を怪我して続けられなくなったんですが、そのあとはジャズ研に入って、バンドを組んだりしていました。
今でもたまに部屋でギターを弾いていますし、膝の具合も良くなったので、地元や職場のバスケチームに所属してほぼ毎週プレーしていますね。20、30代のメンバーが多く、僕がチーム最年長。好きなものは何歳になっても変わりません。たぶんこれも自分の性分なんでしょう。
薫陶を受けた、世界的な技術者からの教え
――技術者として、最初に入社されたIBMでの一番の思い出は何でしょうか?
榊原:IBMには、日本マイクロソフトに移る52歳まで在籍していたのですが、その間にIBMでソフトウェア系のエンジニアが関われる仕事は、ほぼやり尽くしたと思っています。トラブル対応に追われて、「休日返上、連日徹夜」という大変な経験もしましたが、30年弱の間、おおむね楽しく過ごせました。
なかでも、世界的な経営者のルイス・ガースナ―が1993年にCEOになったときは興奮しました。彼がIBMをガラッと変えました。それまでは、メインフレームを売るハードウェアの会社だったんですが、ガースナーは「ソフトウェア」と「サービス」に舵を切りました。当時のIBMは会社分割も囁かれていたのですが、ガースナーは「分割してしまったらIBMの良さが失われる。規模と総合力を最大限に生かすべきだ」と分割案を排除。安定した収益があがるビジネスモデルへとチェンジしたのですが、その変革の速さをいち社員として肌で感じました。実際、ガースナーは経営の立て直しに成功し、いまやIBMの売り上げの大部分をソフトウェア事業とコンサルティング(サービス)事業が占めています。
――やはり企業の改革には強い意志をもったリーダーが必要ということですね。
榊原:そう思います。実はマイクロソフトに移ったのも、トップの交代がきっかけです。マイクロソフトでは、2014年にCEOがスティーブ・バルマーから、現在のサティア・ナデラに交代しました。そのナデラがWindowsやOffice製品のパッケージ販売主体から、AzureやOffice365といったクラウドベースのサブスクリプション型へと一気にビジネスモデルを変えたのです。
その変貌ぶりに注目していたところ、日本マイクロソフトから誘っていただいて。何か面白いことができそうだと思って、2016年に移籍しました。
実際に中に入ってみると、その変革の様相がよくわかりました。それまでは短期の売上高だけを見ていたのに、ARR(年間経常収支)といった成長性を図るための指標を重視するようになって、現場のオペレーションも全部変わったんですね。日本法人ではありますが、経営陣の一人として仕事をする機会に恵まれ、ナデラがどんな思いで変革に挑んでいるのかがよくわかりました。こうした外資系企業の変革のタイミングに立ち合えて、その意思決定の速さを体感できたことは、今のコネクトでの仕事にも活かされているんじゃないかな。
――さまざまな出会いが今のお仕事につながっているんですね。なかでもご自身のキャリアに強い影響を与えた人物はいますか?
榊原:IBMの若手時代にお世話になったジム・ランボーです。世界的なソフトウェア技術者で、ソフトウェアの開発設計に欠かせないUML(Unified Modeling Language)というモデリング言語の開発に関わった重要人物のひとりでもあります。当時、彼が勤めていたRational Softwareという会社がIBMに買収されて、そのうちたまたま日本IBMに彼がやって来る機会がありました。もちろん彼を知っていたので、ダメ元で「自分のメンターになってくれないか?」とお願いしたところ、二つ返事でOKしてくれました。
ジムからはさまざまなことを教えてもらったのですが、とくに心に残ったのは「ソフトウェアの構造は意思決定の連続だから、『説明責任』を果たせるようにつくりなさい」という言葉です。開発の仕事は、何が正解かわからないまま暗中模索で進めていくことも多い。そうした場合でも「自信をもって答えられるよう考え抜く」というエンジニアの心構えを教えてくれたのだと思います。
もうひとつ、影響を受けたものを挙げるとすれば、コードの最適化を専門とするアメリカのプログラマー、マイケル・アブラッシュの『Zen of Code Optimization』ですかね。30年ほど前に書かれた400ページ以上もある分厚いペーパーバックで、メモリフットプリントが少なく、計算量を抑えてパフォーマンスの良いコードを書くためのハック本です。この本を読むまでは「自分は世界一のプログラマーに違いない」と真剣に思っていたのですが、読み終わったあと、「自分は世界一じゃなかった……2番目だった」と落ち込みました(笑)。2番目は冗談ですが、やはり、世の中にはもの凄い人がいるものです。
自分のエンジニアとしての長所みたいなものを挙げるとしたら、「あきらめない」ということかもしれないですね。「なんでできないんだろう?」という興味の方が勝ってしまう。それくらい技術が好きなんです。
ただ地図をながめているよりも、コンパスを持って突き進んでほしい
――2021年11月にパナソニック コネクティッドソリューションズ社(現・パナソニック コネクト)に移り、技術研究開発本部のマネージングダイレクターも務められています。
榊原:一貫して注力してきたのは、技術研究開発本部を“モダンな組織”にして、コネクトのオーガニックな成長のエンジンとすることです。IBMもマイクロソフトも、時代の潮流を読んで、意思決定から事業化まですぐに動いていた。企業が成長するためには、他の企業を買収するなども方法としてあると思いますが、まず自分たちの技術力で成長するために、研究成果をすぐに事業につなげるスピードをどこまで出せるかが重要だと考えています。
コネクトに来て、最初に感じたのは「無駄が多い」ということ。たとえば、各事業部で似たような機能のソフトウェアを作っているのに、その情報が共有されていなかったり、あるいは技術研究開発本部内でもソースコードが共有されていなかったり、もったいないことだらけに思えた。だから、GitHubを導入して、全開発者のソースコードをみんなが見れるようにするなど、オープンな開発ができる体制を整えているところです。
――ソフトウェア開発においてコードの共有は大事なんですね。
榊原:そうですね、やはり他の人が書いたコードを読めば、すごく勉強になるし、その人の思考も読み取ることができます。
私自身、いまでも定期的にコードを書いています。とくにここ数年は、AIを始め、ものすごい速さでテクノロジーが進化していますよね。そのスピードについていくためには、実際に自分でプログラミングをしたり、機会学習の一連の作業を経験するのが一番です。最新技術のトレンドがわからなければ、研究開発の方向性もリードできません。
――現在の役職でコードを書かれている方は少ないように思います。
榊原:大きな企業だと管理ワークが増えてしまって、そうなるのかもしれませんね。しかし、スタートアップのCTOの方々は皆さん手を動かされていますよね。まず自分がやってみれば、自分が考えていることも自然とみんなに理解してもらいやすいと思います。根底には単純に技術が好きで、常に技術に触れていたい、自分でコードを書きたいという思いもあります。
――組織を変革するために、これまでどんなことに取り組まれてきたのでしょうか?
榊原:いくつか紹介しますね。やはり研究組織の風土を作るということはとても重要で、全社的に進めているカルチャー改革とは別に、研究者・開発者はどういうふうに動くべきか、どのような環境で仕事をしてもらえば大いに成果を出せるようになるか、といったことをずっと推進してきています。
たとえば、『9プリンシプルズ ─加速する未来で勝ち残るために』や『ジョイ・インク 役職も部署もない全員主役のマネジメント』といった書籍を宿題にして技術研究開発本部のマネジメント層とオフサイトミーティングで話し合ったり、最近は「R&D People」という社内ポータルサイトも立ち上げたりしました。これは、研究開発に関わる従業員を全員一人ずつ紹介するサイトです。みんなに、もっと周りに目を向けて、仲間たちをもっと知り、興味を持ってほしいと思って始めたんです。
技術者A・技術者Bと仕事するのではなく、〇〇さんという名前がみんなあるわけです。「人」に動いてもらうためには、相互理解と対話が欠かせません。それは、自分も組織を率いる立場として実感していることで、技術者同士のコラボレーションが増えれば、研究効率も上がると考えています。
あとは失敗を奨励する制度もつくりました。いわば失敗自慢のコンテストで、勇気ある失敗をしたチームや人を表彰します。以前は、「失敗したことを言うなんて、恥ずかしい」という雰囲気だったのですが、今は、失敗した経験もオープンにできる環境に変わってきたように感じます。
研究開発において、本当の意味での失敗はありません。何度でもやり直しができます。だから、若い人には失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしいですね。いまの若い技術者はみんな優秀なんですが、どこか慎重になり過ぎているような気がします。技術者にとって大切なのは、地図をながめることより地図がないような場所でもコンパスを持ってどんどん進んでいくこと。先のことはあまり気にせず、私のように直感で面白いと思う方向に突き進んでいく人が、もっと増えてもいいのではないかと思います。
デジタルと現場をシームレスにつなぎ、よりクリエイティブに働ける世界を
――パナソニック コネクトは「現場から 社会を動かし 未来へつなぐ」というパーパスを掲げていますが、「現場」とどのように関わるべきだと思いますか?
榊原:まずは技術者自身が積極的に「現場」とつながっていくことが重要です。ソフトウェアにしろ、ハードウェアにしろ、プロダクトをお客さまに提供したら、必ずその声を自分たちで聞くことを奨励しています。そしてそのお客さまの声を、次のバージョンや新商品の開発に生かしていく。そんなサイクルを回して、製品やサービスの質をどんどん高めていきたいですね。
Sensing Connect Labという、R&D部門における技術検証・共創の施設があるんですが、そこではいろんなお客さまがいらっしゃって、意見交換がすごく盛り上がっています。我々のテクノロジーを採用していただいたり、アドバイスや改善もしていただいたりしています。これからもどんどんオープンな技術研究開発を推進していくつもりです。
――最後に、榊原さんが実現したい「未来」のビジョンを教えてください。
榊原:サプライチェーン領域におけるCPS=サイバーフィジカルシステムの構築に向けて動いています。もともと、Blue Yonderを買収して私たちの技術との統合でシナジーを作り出そうという計画があったわけですが、具体的にはクラウドで計画から実行までの管理を行うBlue Yonderのソリューションと、現場で今何が起こっているのか、現場の状況をさまざまなセンシング技術を用いてデータを取得して、クラウドと連携することを実現させようと考えておりました。それによって、サプライチェーンマネジメントをもっと柔軟で現場の状況に即応できるものにすることを狙ったわけです。
ですが、やはり柔軟性を持たせるにはデータを取得してクラウド連携させる、というだけではダメで、取得したデータを解析し(AI技術)、サイバー空間でもフィジカル空間でも同じ状況を管理できるようにし(シミュレーション技術およびデジタルツイン技術)、新たな指示をアクチュエータとしてのロボットや現場のデバイスにフィードバックする(ロボティクス技術)というサイクルを確立する必要があるわけです。
こうした考え方を私たちは「オートノマス(自律的な)・サプライチェーンマネジメント」と呼んでいます。たとえば、突然の自然災害で輸送網が大幅に乱れる事態に、迅速に現場のデータを取得して複数の物流倉庫に出荷ロットの変更や、物流センター間での在庫の融通などのリカバリー指示を瞬時に出せるようなシステムができあがるのです。
物流倉庫の現場では、無人搬送車(AGV)や自動倉庫、あるいはドローンなど、さまざまなロボットやオートメーションツールが利用されていますが、それぞれメーカーも異なりますから、そうした機器を総合して管理・運用できる、さらに言うとそれらのロボットと人の動作を協調連携させるシステムは今のところありません。前述のリカバリーの指示が出されたとしても、現場が混乱してしまっては意味がありません。そうしたときに、ロボットや現場の人のオペレーションの協調連携というのは非常に重要なものになります。
一方、AIやロボットがどんどん賢く柔軟なものになっていくと、人間の仕事が奪われると心配される方もいらっしゃいますが、私たちはオートノマス・サプライチェーンマネジメントの実現を通して、現場の方々が、より人間にしかできない仕事、ぬくもりが必要な仕事やクリエイティブな能力を発揮できる環境を作るつもりです。協力いただけるパートナー企業を増やしながら、一歩一歩、実現に向けて歩みを進めています。
「パナソニックをAIのブランドにする」という目標もあります。これまで我々の主なAIの研究領域はセンシングなどパーセプショナルな部分での取り組みが中心でしたが、それだけではなく生成AIに代表される認知(コグニティブ)科学の領域のAI研究にも注力していきます。ドイツのフランクフルトを本拠地として「Intelligent Systems Lab」を設置しグローバルなAI研究も開始しました。こうした拠点は今後世界各地に設け、国際的な大学や研究機関などとの連携も強めていきたいと考えています。皆さんが「パナソニック」というブランドに抱いている、家電製品などをベースとしたこれまでの企業イメージを一新したいという野望を抱いております。
長くなりましたが、とにかく自分は、大好きなテクノロジーを活用して、働く方々の潜在能力や可能性をもっと引き上げていきたい。きっと今の取り組みから、みなさんがワクワクするような製品やサービスが生まれると思います。IBMやマイクロソフトでも面白い仕事をやってきましたが、パナソニック コネクトでの冒険も、過去に勝るとも劣らない、胸が躍る仕事です。
榊原がつなげたい「未来」は?
「テクノロジーで人の能力を引き上げたい」
【関連リンク】パナソニック コネクトの研究開発(R&D)部門の取り組み