日本のものづくり現場は衰退していないーー東京大学・藤本隆宏教授インタビュー(1)
労働力不足や技能伝承に対する不安、製造設備の劣化など、日本のものづくりの現場が抱える課題は多い。しかし、たくさんの現場をその目で見てきた藤本隆宏教授は、「日本の強みを徹底的に活かしていけば展望は明るい」と語る。「日本の強み」はどこにあるのか。日本のものづくりの現状や長所、現場力の活かし方について、藤本教授に聞いた。
藤本隆宏
1955年東京都生まれ。1979年東京大学経済学部卒業。三菱総合研究所での勤務を経て、1989年ハーバード大学ビジネススクール博士号取得。現在、東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学ものづくり経営研究センター長。専攻は技術管理論および生産管理論。
どの企業でも起こり得る検査不正問題
――昨年から検査不正の問題が相次ぎましたが、どうお考えですか。
藤本:2017年の後半、自動車や素材の分野など、国内の複数の製造大企業で長年続けられてきた検査工程での不正が、次々と明るみに出ました。これら検査不正問題は、法規や契約に対する重大なコンプライアンス逸脱行為であり、断じて許されません。
こうした不正の発覚が今後も続出すれば、当該企業のみならず、日本の製造業全体が信頼を失います。それゆえ実に重大な問題なのです。
――不正を防ぐには、どうすればいいでしょうか。
藤本:一般に品質管理部署は専門性が高く、人があまり流動しない。つまり閉鎖的になりがちなため、逸脱行為が外部から確認されず隠ぺいされ、長期間潜伏する傾向にあります。ですから、品質管理部門の閉鎖性の打破、トップの現場把握能力の向上、本社の広報対応能力の強化なども含め、逸脱行為を見逃さない構造を築き上げ、徹底的に問題を解明し、再発防止策を講ずる努力が必要です。
またこうした検査不正は、製品安全に関わるどの産業、どの企業でも起こると考えるべきでしょう。事実、残念ながら、検査不正の発覚は年々増加しています。
検査不正問題から現場力低下と判断するのは誤り
――日本のものづくりは衰退してしまったのでしょうか。
藤本:そうではありません。確かに、国内外の言論界の一部には、最近相次いで発覚した長期の検査不正により、製品の品質不良が増加したと誤解し、すなわち日本の製造現場力は落ちたとする議論があります。しかし、今回問題となったのは継続的に行われていた検査不正の発覚で、それが原因の品質不良は今のところ報告されていません。つまり、検査不正により、日本の製造現場力は落ちたとするのは、論理的にも、そして科学的にも誤った推論なのです。
このように混乱した議論が続くと、せっかくしっかりやっていて、業績が上向きなものづくり企業や現場にまで深刻な影響が出てしまいます。私を含め言論界は、正しい因果関係の認識に基づく科学的な議論をすべきです。
そもそも良い品質とは①製造現場による「品質作り込み」の工程能力と②検査部門の厳しく正しい検査によって達成されます。この2つを分けて考えるのが、品質管理論の基本です。
――今回起こったのは、そのうち検査部門での不正です。
藤本:もし①製造部門の品質作り込み能力が十分に高く②検査部門の検査基準が社会や顧客の許容範囲に対して十分に厳しいものであれば、検査不合格品を合格と虚偽申告する重大な検査不正があったとしても、統計的には顧客に対する実際の品質不良は発生しない可能性が高いのです。
実際、不祥事を起こした各社からのいまのところの報告で知る限り、検査の不正はあったが、それに起因する品質の不良は見つかっていません。「検査不正=品質不良=現場力低下」という議論は、一見わかりやすいが実は誤った推論だということです。
――ものづくりの現場力そのものが低下したわけではないのですね。
藤本:日本のものづくり現場に不安要素がないという意味ではありません。1990年代のポスト冷戦期以降、厳しいグローバル競争が20年以上続いた結果、国内の設備投資は不足し、設備の劣化が見られ始めています。また、30代のものづくり人材が不足し、技能伝承にも不安を抱えています。さらに近年復調してきた仕事量に対して労働力が足りていないことなど、問題は山積しています。
高い調整能力が日本のものづくり現場の持ち味
――では、日本のものづくりの強みは何ですか。
藤本:優良なものづくり現場の強みは「多能的従業員のチームワーク」です。これは、複数の業務をこなす多能工がお互いを見ながら融通を効かせ、チームワークで仕事を進める方法で、製品開発の場でも、生産の場でも同じ強みを発揮しています。
日本のものづくりでそのような協業型の現場が生まれるようになったのは、戦後の高度成長期における人手不足の影響が大きいと考えられます。高度成長期には、極端に労働力が不足し、企業にとって人手の確保は切実でした。そのため、従業員に辞められると補充は困難なので、大切に育てて手放さなかった。それが日本に長期雇用が定着する要因ともなりました。
また慢性的に人手が足らず猫の手も借りたい状況の中では、単一の業務だけでなくあれもこれもできることが求められ、次第に1人が複数の役割を担う「多能工」が育ちました。そして安定雇用のもと、多能的な従業員の間でチームワークが発達しました。
また高度成長期は、需要に対して生産能力が不足していたため、大手企業は下請けや協力会社を一度手放すと、代わりを探すのに苦労しました。そのため、サプライヤーと信頼関係を築き、長期取引をしようとするのが大手の基本的な考え方でした。そうした状況において、自社でできない業務は、他の下請け会社などのサプライヤーに頼むことが増え、サプライヤー同士での企業間分業は促進され、これらの企業間でもチームワークが醸成されたのです。
そうしたいくつかの要因が重なり、日本において調整能力に富む優良現場群が形成されたと考えられています。その日本のものづくり現場の特徴は、1990年代以降続く「グローバル競争期」でも、概ね変わらず維持されてきたと考えていいでしょう。
日本は「インテグラル型」、米国と中国は「モジュラー型」
――調整能力に富む日本の現場は、どんな製品を生み出したのでしょうか。
藤本:歴史的な理由もあり、調整力に富むものづくり現場が多数生まれた結果、日本は設計や生産で作業者間および技術者間で深い連携が必要とされる調整集約的な製品、すなわち「インテグラル(擦り合わせ)型アーキテクチャ」の製品で輸出競争力を発揮するようになります。
アーキテクチャとは、あらゆる製品に存在する設計思想のことです。そしてアーキテクチャは、機能要素と構造要素の関係が複雑に絡み合った「インテグラル(擦り合わせ)型」と、機能と構造が一対一で対応する「モジュラー(組み合わせ)型」とに大きく二分されます(下図)。
つまり、インテグラル型アーキテクチャの製品とは、機能と構造の関係が多対多で複雑な製品のことです。例えば、インテグラル型に近いのは高性能自動車です。代表的な構造要素であるサスペンション・ボディ・エンジンは、代表的な機能要素である走行安全性・走り心地・燃費のすべてに影響を与えるからです。
一方、パソコンシステムはモジュラー型に近く、構成要素の一つであるパソコンは計算の機能に、プリンタは印刷に、プロジェクタは投影にという具合に、一対一で関係します。
――インテグラル型を強みとしてきた日本ですが、他国はどうでしょうか。
藤本:米国では高度成長期、海外から大量の移民を受け入れ労働力を確保しました。そして、その人材を即戦力として使うために分業型のシステムを築き上げ、発展させてきました。一人が一つの業務にのみ従事する「単能工」の作業システムです。
また冷戦終結後、世界市場に参入し一気に台頭した中国は、急成長により不足した労働力を内陸の農村部からの大量の人口流入でまかないました。その労働者はほぼ3年程度で入れ替わるため、多能工として育てるのには向かなかった。そのため中国は、米国に近い単能工の分業体制による生産を得意とするようになりました。
米国や中国をはじめとする分業体制の現場は、機能と構造の関係が単純で調整があまり要らないモジュラー型アーキテクチャの製品の生産に高い競争力をもちます。米国シリコンバレーのハイテク・デジタル製品や、中国の家電製品や自転車は、その典型例です。
「強い現場」と「強い本社」連携のもと勝負すべき
――日本の製造業が輸出競争力を増し、世界に打ち勝つためにはどうすればいいでしょうか。
藤本:日本のものづくり現場は非常に調整力に長けているため、その強みを徹底的に活かし、やはり地道にインテグラル型アーキテクチャの製品で勝負を続けるべきです。
ものづくりがデジタル化する時代、多くの製品がモジュラー化していくとはいえ、相対的にインテグラルな製品群は必ず残ります。例えばスマートフォンは全体としてはモジュラー型ですが、それを構成する部品の一部はインテグラル型です。
――低賃金国とのコスト競争も気がかりですが。
藤本:近年は新興国との賃金差が縮小しており、中インテグラル型の部品を求めるApple は、iPhoneの部品の一部や加工の発注を中国から日本に切り替えつつあるようです。1990年代以降、賃金ハンデを背負い、苦闘してきた日本の製造業ですが、潮目が変わりました。
また今後は、米国と中国が太平洋を挟んで2大ハイテクモジュラー大国として長期にわたって張り合うことも予想され、そうなった場合には日本企業は、両国が苦手な中インテグラル型製品を有利に売り込んでいけるでしょう。つまり、地政学的に見ても有利に「アーキテクチャの位置取り」をできる可能性が出てきたというわけです。
――これからも現場の力が日本の製造業の未来を担っているのですね。
藤本:デジタル化の時代、重さのある世界とない世界の動きは非常に複雑化しており、これまでのように現場だけが頑張ってもなかなか浮かばれません。明確なアーキテクチャ戦略をはじめ、(現場と相対する)本社が需要創造の面で支援しなければ、ジリ貧に陥る恐れすらあります。
そこで日本企業は、従来から能力を構築してきた「強い現場」を、高い戦略能力をもつ「強い本社」が支援し、その間の連携を強化させることが大切です。それができれば、日本のものづくり産業は今後、面白い展開も考えられます。それが、私の現場現物の論理・実証に裏打ちされた今後の「慎重な楽観論」です。
その意味でも、デジタル化時代のものづくり企業は、「アーキテクチャ戦略」の理論と実践について熟知する必要があります。それについては、次の「デジタルものづくり時代の主戦場『低空層』での戦い方」でお話ししましょう。