人間とAIの力を最大限引き出す「バイオニック・サプライチェーン」――サプライチェーン戦略再考
前回は、サプライチェーンマネジメント(SCM)の課題に対応するための第一歩として「見える化」と「ゴール設定」の重要性を解説した。
今回は従来のサプラチェーンにおけるデジタル化をさらに一歩進め、エンド・ツー・エンド(E2E)で価値を最大化するためのモデルである「バイオニック・サプライチェーン」を紹介したい。その実現のためには、デジタルプラットフォームの構築なども必要ではあるが、真のポイントは変革に向けた企業の体制の整備にある。
SCMのポイントはAIに人間の洞察力を組み合わせること
COVID-19は、多くの企業でサプライチェーンにまつわる課題を浮き彫りにした一方で、近年のデジタルソリューションへの投資とも相まって、サプライチェーンのトランスフォーメーションを加速させている。
BCGでは、さまざまな業界の企業に対してサプライチェーン関連のご支援を行ってきた。加えて、経済産業省に対して日本企業におけるサプライチェーンの強靭化やカーボンニュートラル対応についての調査支援も行っている。
こうした経験から見えてきたのは、課題・リスクがますます複雑化するなか、ここで紹介するような、デジタルやAIを組み込んだバイオニックな(人間とテクノロジーが融合した)サプライチェーンマネジメントがより切実に求められるようになってきていることである。ポイントは、デジタル/AIを導入するだけでなく、それらに人間の洞察力をしっかり組み合わせることだ。
BCGが1,000社以上の企業を対象に行った調査では、大規模なデジタル化を行うには、テクノロジーだけではなく、人と関わるプロセスの重要性が明らかになった。テクノロジーにばかり目を向け、従業員に十分な説明を尽くしていなかったり、彼らが設計への取り組みに参加できていなかったり、リーダーによる指示が不十分だったりする企業は失敗しやすい。
また、変革プログラムの対象が幅広く、きちんと調整されていないケース、従業員のデジタルスキルが不十分なケース、そしてプロジェクトにともなう仕事量増大の負荷を考慮せず進めていたケースでも取り組みが停滞することが多い。
機械と人間をつなぎ目なく組みあわせる「バイオニック・サプライチェーン」
エンド・ツー・エンド(E2E)でサプライチェーンの価値を最大化するには、私たちが「バイオニック・サプライチェーン・オペレーティング・モデル」と呼ぶモデルが有効だ。これは、バイオニック(生体工学的)な、すなわち機械と人間をつなぎ目なく組みあわせ、両者の力を最大限に引き出すオペレーションをつくりあげるモデルである。このモデルでは、E2EでKPI(重要業績評価指標)をリアルタイムに可視化し、機能横断的なコントロールタワーが各部門と調整を行って全体最適を実現し、全体のパフォーマンスを最大化する。
このモデルを活用した「バイオニック・サプライチェーン」の構築には、大規模なデジタルトランスフォーメーション(DX)が必要となる。だが、実現のあかつきには4〜6%の売上向上、5〜30%ポイントの対顧客サービスレベルの改善、2〜4%ポイントのEBITDA※の向上など、財務面を含めた大きなインパクトを得られる可能性がある。
また、製造・倉庫・流通関連の費用を10~20%ポイント、運転資金も15%~30%削減できると見込まれる。さらには、貿易政策の変更や自然災害の発生、企業の倒産などに伴う急激な需給変動や事業環境の変化への対応力も向上する。
※税引前利益に特別損益、支払利息、減価償却費など足した値。キャッシュアウトのない費用である減価償却費をなかったものと考えるため、キャッシュベースで利益が大まかにわかる。
具体的に、バイオニック・サプライチェーン・オペレーティング・モデルへの進化は図表1のように表せる。
それを支える機能の1つが、様々な情報を基に現実のサプライチェーンの状況をサイバー空間で再現する「デジタルツイン」である。コントロールタワーは、このデジタルツイン上で、サプライチェーンのシミュレーションを行い、それにより販売における欠品や原料不足、物流での車両不足など、今後どのような問題が起こりうるかを予測できる。
また、複数シナリオでこのシミュレーションを行うことで、未来に生じうる問題とそれらへの対応について予め準備を進めることも可能となる。さらに、リスク評価や障害からの復旧に関する新たな指標を設計することができるようになり、サプライチェーンの信頼性を高められる。
バイオニック・サプライチェーンに重要な5つの要素
このようなバイオニック・サプライチェーンの構築には5つの重要な要素が必要となる。
①シームレスな協働
②KPIの見直し
③コントロールタワーの設置
④デジタルスキルの構築と人材
⑤データ&デジタルプラットフォーム(DDP)
以下、順に説明していきたい。
①シームレスな協働
バイオニック・サプライチェーンの重要な要素の1つとして、シームレスな協働がある。人間と機械(AI)が、それぞれ最適な協働を行うことが、サプライチェーンの最適化や迅速な変化への対応を可能にする。
バイオニック・サプライチェーンには、3種類の協働の形が存在する。
- 機械同士の協働(Machine-to-Machine) : 日々の意思決定の約80%は機械と機械の協働を通じて行われると予測している。センサーやコネクターにより情報を取得・伝達し、その情報に基づきAIが判断を行う。なお、これらの判断のメカニズムやルールの設計は、SCMの専門家が行う必要がある。
- 人 - 機械間の協働(Human-to-Machine): 意思決定の約10%は、人と機械が連携して行う。機械が出力したデータを用いて影響度の分析などを行い、それに基づいてAIのアルゴリズムやシナリオモデリングのチューニングを行う。
- 人同士の協働 (Human-to-Human) : 残りの10%は、人同士の協働であり、緊急時の対応や、設計上対応できない問題への対処がこれにあたる。
サプライチェーンの構築にあたって、多くの企業はデジタル技術の採用に終始しがちだが、実は人間やAI同士での協働の最適化を進めることが非常に有効である。
②KPIの見直し
KPIについては、特に厳しいトレードオフとなっている箇所を、事業全体の方針との整合という観点で見直す必要がある。サービス、コスト、在庫など、あらゆる面でパフォーマンスを落とさないことが重要であり、そのため、顧客セグメントごとの重要な戦略目標、および事業のKPIと整合する形でサプライチェーン上のKPIを設定しなければならない。
③コントロールタワーの設置
サプライチェーン上の設計・管理を、部門や機能を横断して担う組織である「コントロールタワー」を設置することも必要となる。この組織は、プロセスやKPIの設計、会議における意思決定の設計までを行う。これにより、サプライチェーン上の全メンバーがリアルタイムでサプライチェーンに関するデータを閲覧でき、それぞれの組織内においても日々のオペレーション管理と、アジャイルな改善も進められるようになる。
コントロールタワーのメンバーは、原則、同一拠点に所在することが望ましいが、大企業においては、分散して配置せざるを得ない場合もある。なお、P&G(プロクター & ギャンブル)は、15年前から世界各地にコントロールタワーを設置し始めたが、近年では、拠点間の協働を促すべく、次第に拠点の集約を進めるなど試行錯誤が続いている。
④デジタルスキルの構築と人材
人材のデジタルスキルも重要な要素の1つである。コントロールタワーのメンバーのようにサプライチェーンのプロセスを設計するためには深いドメイン知識が不可欠であり、アルゴリズムの設計やチューニングを行う人材にはデータサイエンスの専門知識が求められる。また、調達、需要計画、物流の各部門担当者においても、オペレーションを行うために、最低限のデジタルスキルが必要となる。各担当・各テーマにおいて、研修などスキルアップの機会を提供すべきだ。
⑤データ&デジタルプラットフォーム(DDP)
データやテクノロジーにおける課題に対応するために、コアシステムの上層にクラウドベースのデータ&デジタルプラットフォーム(DDP)を構築しておくことも必要である。図表2はDDPを単純化して図解したものである。DDPにより、リアルタイムなデータ共有が可能になるため、業務や処理がリモートで行えるようになる。また、組み換えが容易なモジュール式のアーキテクチャであるため、業務の変化に応じて、アジャイルにソリューションの拡張や置き換えを行うことができるようになる。
多くの企業が苦しむデジタルのジレンマ
一方、多くの企業は、複雑に絡み合った課題に行く手を阻まれ、DXを進められていない。たとえば、課題の1つに、組織のサイロ化がある。営業、調達、生産、物流などの各担当は、機能別組織や評価制度とも相まって、自部署の個別最適に走り、全体最適に反した動きをとることも多く、全体最適に向けた取り組みの抵抗勢力になることもある。
また、意思決定の基準となるKPIに部門間のトレードオフが生じており、その調整を上手く行えていない例も散見される。製造部門で生産コストの低減に向けて大ロット化を進めるなかで、営業部門から顧客要望を踏まえての小ロット化を要請されることがあるといった例がこれにあたる。
テクノロジーも課題となりうる。新たなアナリティクス・ソリューションは、意思決定のスピードと質を高めることに寄与しうるが、こうしたソリューションは内部ロジックの把握が難しく、意思決定の基準がブラックボックス化してしまうため、信頼性に不安が残るとして採用を見合わせるケースも多い。
データの問題も存在する。多くの企業では、データはERPなどの基幹システム上に蓄積され、アクセスに制限がかかっているため、活用が難しい。この問題を解決するために、データプラットフォームの構築を進める企業も多いが、開発や拡張において古い基幹システムに蓄積されたデータの扱いは困難で、多くの問題に直面している。
バイオニック・サプライチェーン実現のための5つのポイント
こうした失敗を回避し、バイオニック・サプライチェーンの構築を成功させるための重要なポイントとして次の5点が挙げられる。
①従業員を中心に据える
②リーダーの改革への熱意の醸成と権限の強化
③トランスフォーメーション・マネジメント・オフィス(TMO)の設置
④DDP戦略の策定
⑤継続的な精査
①従業員を中心に据える
バイオニック・サプライチェーンの導入にあたっては、従業員の行動を変化させる必要があるため、彼らに焦点を当て、開発にも参加してもらい、フィードバックを取り込んでいくべきだ。
また、従業員のデジタルスキルの向上に向け、必要となるスキルを整理し、現在の従業員のスキルとのギャップを明らかにすることも重要である。
②リーダーの改革への熱意の醸成と権限の強化
DXを推進するリーダーは、個々の従業員を惹きつけ、彼らの不安を解消しつつ、変革に導かなければならない。取り組みを進める仕組みとして、変革アジェンダの設定や、推進メンバーの役割分担の設計、パフォーマンス管理のKPIの設計なども行わねばならない。また、従業員、意思決定者の双方の間でテクノロジーに対する理解を醸成することも求められる。
なお、リーダーは、これらを行うための権限を有していなければならない。DXの場合、変革の範囲が多岐にわたるため、権限の付与は非常に重要な要素の1つとなる。
さらに、リーダーに求められる要件として、目的意識や熱意を有していることが挙げられる。リーダーは、変革の実現に向けて、経営陣からのスポンサーシップを獲得し、現場からの抵抗を制し、会社全体として変革の機運を醸成しなければならない。
③トランスフォーメーション・マネジメント・オフィス(TMO)の設置
BCGでは、企業がどのような変革への体制を取っているかについて、グローバルなデータベースを持ち多くの企業のデータを蓄積しているが、体制の整備における上位25%の企業は、トランスフォーメーション・マネジメント・オフィス(TMO)を設置している。こうした組織は、バイオニック・サプライチェーン導入でも中心的な役割を担う。
④DDP戦略の策定
レガシーシステムからDDPへの移行は、非常に重要、かつ困難な取り組みの1つだ。標準的なソリューションに、情報の収集と分析を行うインテリジェンスの機能を追加することからスタートするパターンが多いが、長期的に本格的なDDPへ移行するまでのロードマップを描かねばならない。戦略的に価値の高いデータを模索しながら、クラウドベースのインフラ導入やデータドメインの追加を段階的に進めることが望ましい。
⑤継続的な精査
変革の取り組みのすべてを完遂することは難しい。そのため、進行状況や成果を、常に把握し、今後実行する施策の内容を都度見直しながら変革を進めることが望ましい。成功企業においては、このような取り組みのモニタリングの仕組みが備わっている。
サプライチェーンをとりまく問題・リスクが増大・難化するなかで、複雑系の意思決定にはAIなどの機械と人間の洞察力をしっかり組み合わせることが肝要である。
バイオニック・サプライチェーンを完全に実現した企業はまだ存在しないが、先進的な企業や取り組みは増えてきている。デジタルの恩恵を最大限に享受するために、「バイオニック化」は、将来の競争力を大きく左右する必要不可欠な取り組みである。ぜひ、生命体のようなしなやかで強靭性のあるサプライチェーンを実現していただきたい。
本稿は以下の論考を翻訳し加筆・再構成したものです。
「Building the Bionic Supply Chain」 ボストン コンサルティング グループ 2020年4月
内田 康介(うちだ・こうすけ)
ボストン コンサルティング グループ(BCG) マネージング・ディレクター&パートナー
京都大学文学部卒業、コーネル大学経営学修士(MBA)。NTTコミュニケーションズ株式会社を経て現在に至る。BCGオペレーショングループの北東アジア地区リーダー。製造業を中心に、サプライチェーン改革、調達改革、オペレーション改善、大規模プログラム/プロジェクトマネジメントなど、特にデジタルによるトランスフォーメーションのプロジェクトを数多く手掛けている。