Connect Talent Community Hubパナソニック コネクトと接点を
持つ方々とのコミュニティ
海外での経験がキャリアの転換期に。ソフトウェアエンジニアの道を究めたい
新たなステージで活躍している「パナソニック コネクト卒業生」をゲストに迎え、それぞれのキャリア観を紐解いていく「コネクトタレントコミュニティラジオ」。第2回のゲストは、現在モビリティ業界でソフトウェアエンジニアとして活躍する新井野(にいの) 昴さんです。海外でのプロジェクトに携わった経験が転換期になったと話す新井野さんに、キャリアの考え方やめざすキャリアをかなえるために取り組んだことを聞きました。
人を育てた上で社会に貢献していく。理念に惹かれてパナソニック コネクトに入社
――はじめに、簡単な自己紹介をお願いします。
――ありがとうございます。まずは、パナソニック コネクト時代の話から聞いていきたいと思います。入社の決め手は何だったのでしょうか。
就職活動では、2つの軸がありました。1つは、世の中にできるだけ大きなインパクトを与える仕事がしたいということ。もう1つは、良い環境で良い方たちと働きたいという想いです。
当時、パナソニック コネクトがスマートシティのプロジェクトを進めていることを知り、街に貢献できるという規模の大きさに魅力を感じました。そんな中、私の通っていた大学で、パナソニック コネクトの社員の話を聞く機会があったのです。そこで「パナソニック コネクトは物をつくる前に人をつくる会社です」という話を聞いたことが印象に残りました。
人を大切にして、人を育てた上で社会に貢献していくという考え方に共感したことが、入社を決めた理由です。
新井野さん(左)・インタビュアーのパナソニック コネクト 高尾さん(右)
――入社後に担当していた仕事について教えてください。
残念ながら希望していたスマートシティのプロジェクトは、入社後なくなってしまい、配属されたのは店舗に置いてある決済端末の開発部門でした。
パナソニックが決済端末を扱っていることは入社するまで知らなかったのですが、現金が主流だった日本において、グローバルスタンダードに合わせてスマート決済を推進することは、「日本の決済業界の当たり前を変える」ことにつながります。もともと持っていた「世の中に大きなインパクトを与えたい」という想いをかなえる仕事だと感じ、前向きに取り組むことができました。
――入社1年目でそういったマインドセットができることは素晴らしいですね。とくに印象に残っていることはありますか?
海外の会社と協力して開発を進めるオフショア開発に挑戦したことです。
会社として初めてのオフショア開発で、メンバー募集があったので手を挙げたところ、3カ月間ベトナムに滞在して現地のエンジニアをサポートすることになったのです。海外で仕事をする経験をしたことは、今の会社に入社するきっかけにもなりました。
自分の成長を実感できることが、継続的な自己研鑽のモチベーション
――新井野さんはもともと、どのようなキャリアプランを描いていましたか?
当初はソフトウェアエンジニアではなく、システムエンジニアになりたいと考えていました。
ソフトウェアエンジニアとシステムエンジニアは会社によって定義が異なると思いますが、私のイメージでは、システムエンジニアは既存の技術を組み合わせてソリューションを構築し、お客さまの課題を解決していく仕事。ソフトウェアエンジニアは、世の中にないものを自分の力で作り、新しい価値を生み出していく仕事のスタイルだと考えています。
私は人と会話することが好きでしたし、お客さまの困りごとを解決する仕事に憧れがあったので、システムエンジニアとして経験を積み、将来的にはマネージャーとして大きなプロジェクトを動かせるようになりたいと思っていました。
ソフトウェアエンジニアに転向したのは、ベトナムでの仕事が始まる直前にキャリア採用で入社した方と出会ったことがきっかけです。その方との出会いとベトナムでの経験を通じて、ソフトウェアエンジニアの仕事に魅力を感じるようになりました。
――キャリアを考える上で、不安や悩みもあったと思いますが、どのように乗り越えたのでしょうか。
不安がなかったわけではありませんが、そこまで大きな不安は感じていなかったというのが正直なところです。というのも、パナソニック コネクトは、やりたいことが決まっていればどんなことでも挑戦できる会社だと感じていたのです。
私が転職をしたのは、海外でも活躍できるエンジニアになりたいと考えていたこと、当時のパナソニック コネクトにそういった機会がなかったことが理由ですが、基本的にはさまざまなキャリアを描ける会社だと思っていました。
その中でも心がけていたのは、自己研鑽をやめないことです。具体的にはソフトウェアエンジニアに必要な技術と英語の自己学習を継続していました。
――その努力をするモチベーションを保てた理由を教えてください。
勉強することで伸びていく実感が持てることと、ベトナムでの経験です。
ベトナム滞在中、現地の人と英語でうまくコミュニケーションがとれず、プロジェクトのミーティングで「英語力が改善点」と指摘されてしまったことがありました。
でも、徐々にコミュニケーションがとれるようになっていくことで自分の成長も実感できたことが大きなモチベーションになりました。
日本国内でも、グローバルな環境でエンジニアとして成長するキャリアを歩める
――現在の仕事内容を教えてください。
ソフトウェアで制御できる車載プラットフォーム「Arene(アリーン)」の開発プロジェクトに参画しています。Areneは、どんな車にも搭載できる共通のソフトウェアプラットフォームをめざしています。
これまでの自動車開発は、ハードウェアを中心に組み立てていく方式でした。しかし、ニーズの多様化に対応しようとすると機能が複雑になってしまい、コストもかかってしまいます。それをソフトウェアで定義する形に切り替えることで、より柔軟にニーズに対応しながら品質も向上させることができ、リリースサイクルも短くできます。
――転職前には海外で働きたいという想いもあったそうですが、望んでいたキャリアプランは実現できていると感じていますか?
海外で働きたいと考えていたのは、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちと働く中で自分自身もレベルアップしていきたいという想いからです。 シリコンバレーで働くことにも憧れましたが、自身のライフイベントなどもあり、実現は難しいと感じました。
そのような中で、日本国内にも、世界中から優秀なエンジニアを集めて海外と同じような環境で働ける会社があることを知り、現在の会社を選びました。会社でのコミュニケーションは英語なので大変ですが、グローバルな環境でエンジニアとして成長していくというキャリアプランは実現できているのかなと思います。
――パナソニック コネクトでの経験が、現在の仕事に活かせていると感じる瞬間はありますか?
たくさんあります。中でも、いろいろなチームの人と一からプロダクトを作り上げるという経験が活きています。
企画から始まり、ハードもソフトも一から自分たちで製造して、お客さまに届けるところまでをすべて自社でできる会社は、じつはそれほど多くありません。そのためにはさまざまな部署と連携しながらチームで働くことが重要で、周りの人を巻き込みながら進めていく過程を経験できたことは大いに役立っています。
今でも支えとなる、広くて深い人間関係が築けたことが一番の財産
――パナソニック コネクトは2023年4月からジョブ型雇用を取り入れていて、めざすキャリアに向けた学習の機会も充実させています。新井野さんも、そういった制度を活用していましたか?
使いこなせていたかはわかりませんが、活用していました。とくに「Udemy」はよく使っていました。もともと個人的に利用していたのですが、会社が導入してくれたことで、無料で利用できるようになったことがありがたかったです。質の高い講座を自分で選んで受けられるのが良かったです。
また、社内公募制度もキャリアを考える上で参考になりました。自分が応募するわけではなくても、社内公募の情報を見ることで会社がどの事業に力を入れようとしているのかが見えてくるんです。会社の動きを知る機会があることがおもしろかったです。
――今後はどのようなキャリアプランを思い描いていますか?
ソフトウェアエンジニアの道を究めていきたいと考えています。今の会社には、プリンシパルエンジニアという技術面の責任を担うポジションがあります。エンジニアとしてスペシャリストの道を歩むためのロールモデルのような存在なのですが、そういったキャリアをめざしています。
――最後に、パナソニックコネクト時代を振り返って、あらためて良かったと感じることを教えてください。
人間関係に恵まれたことが一番の財産だったと感じます。とくに同期のつながりは強いですし、他部署の人とも退職後にさまざまなつながりがあります。そういった人間関係の広さと深さは、今も大きな支えとなっているので、とても感謝しています。
――ありがとうございました。新井野さんのお話から、自分でやりたいことを見つけて努力することの大切さを学びました。次はどんなキャリアの考え方に出会えるのでしょうか。それでは、また次回お会いしましょう。
※記載内容は2025年3月時点のものです
私は、2016年に現在のパナソニック コネクトに入社し、今はモビリティ技術を開発するウーブン・バイ・トヨタでソフトウェアエンジニアとして働いています。
パナソニック コネクトは自分のキャリアを考えるきっかけや成長の機会を与えてくれた会社です。私がパナソニック コネクト以外で働くことがあれば、自分の経験を話すことで少しでも恩返ししたいと考えていたので、今回呼んでいただいてとてもうれしいです。