低温物流に非電化・脱炭素化の大転換をもたらす「アイスバッテリー」に迫る

低温物流に非電化・脱炭素化の大転換をもたらす「アイスバッテリー」に迫る
取材・文:佐藤淳子、写真:井上秀兵

インド出身の起業家、パンカジ・クマール・ガルグ氏が開発した「アイスバッテリー」。電力に頼らず、最長120時間一定の温度を保てるというこの画期的な保冷剤によって、日本の物流はどう変わっていくのか。製品のもつ可能性と、世界も視野に入れた「アイスバッテリー」の今後の展望についてガルグ社長に聞いた。

※ガルグ社長の経営ビジョンついてはこちらの記事を参照

高価な冷蔵車や電力のいらない低温物流を実現

――アイスバッテリーを開発した背景をお聞かせいただけますか?

ガルグ:保冷剤を着想したのはインテルで勤務していた時代です。半導体の冷却技術にヒントを得ました。保冷剤を使ったビジネスに思い至った背景には、食料の問題があります。

インドでは約4割もの食料が廃棄されています。なぜかというと、冷蔵・冷凍物流が発達していないため、食料を必要としている場所まで届けられないのです。インドだけではなく、世界各地で同様のことが起きています。

食料だけではありません。物流の未発達が理由で、医薬品も必要な人々の手に届いていません。私は子どもの頃、姉を亡くしました。ワクチンが手に入っていたら助かった命でしょう。

私の住む地方では、1年に1度のお祭りのとき、女の兄弟が男の兄弟に「ラキィ」という細い紐を結ぶ習慣があります。たった1人の女兄弟を亡くした私たち男4人兄弟は、それを結んでもらえず、とてもさみしい思いをしました。開発の背景には、こうしたさまざまな思いがあります。

パンカジ・クマール・ガルグ氏
アイ・ティー・イー株式会社/アイスバッテリー株式会社 CEO 代表取締役社長 パンカジ・クマール・ガルグ氏

――アイスバッテリーで物流にどのような変化が起こせるのでしょうか。

ガルグ:アイスバッテリーは、電力に頼らずに温度管理できる技術として生み出した製品です。一度凍らせれば、外気温が30℃以上であっても、最長120時間以上は任意の指定温度を保持できます。

アイスバッテリーの写真
プラスチック容器にカラフルな液体が入った「アイスバッテリー」。オペレーションミスを防ぐため、「常温」「冷蔵」「冷凍」など、温度によって色分けしている

ガルグ:約2200回も繰り返し使えるうえ、CO2の排出もないので、環境にもやさしい。現在、日本で普及している低温物流には、高価な冷凍車や冷蔵車が必要で、しかも設定できる温度は1つ。そのため、設定温度の異なるものを同時に運ぶことができません。

特に、厳密な温度管理が必要な小口の医薬品には不向きです。一方、アイスバッテリーを使えば、ボックスごとに異なる温度を設定できるため、多種多様なものを同時に運ぶことができます。

アイスバッテリーの専用ボックスの写真
専用ボックスと組み合わせることで、アイスバッテリーの使用枚数と温度保持可能時間をあらかじめ設定でき、無駄なく運用が可能に

ガルグ:つまり、常温の車両に「常温」「冷蔵」「冷凍」を積み込むことが可能ということで、これにより配送のコストダウンが図れます。加えて、温度にムラがなく、湿度も保てるため、生鮮食料品の鮮度も守れます。

車両を冷やす電力も高価な専用車も必要としません。大きな初期投資が要らないため、小規模農家などに利用してもらえることも大きなメリットといえるでしょう。

当社では、アイスバッテリーの効果を最大限にするために、専用の保冷カゴ車や保冷ボックス、専用自動車、温度や湿度を計測記録・保存するデジタル温度記録計(温度ロガー)なども合わせて開発しています。

低コスト・高効率でCO2削減に貢献

――現在の低温物流の主流であるドライアイスとの違いはどんなところにあるのでしょうか。

ガルグ:ドライアイスは溶ける際にCO2を出すため、環境に負荷をかけるだけでなく、溶け出したCO2が商品を変質させる可能性があります。一方、アイスバッテリーはCO2の排出がないので、商品を変質させることも環境に負荷をかけることもありません。

また、ドライアイスは一定温度を保つことができないため温度変化の予測が立てられませんが、長時間一定温度が保てるアイスバッテリーを利用すれば、より高品質な低温輸送が可能です。さらに、1回限りの使い捨てのドライアイスに対し、繰り返し使えるアイスバッテリーは、物流の脱炭素化に貢献する、環境にやさしい製品といえます。

パンカジ・クマール・ガルグ氏

――アイスバッテリーは、現在どのように利用されているのでしょうか。

ガルグ:まずは医薬品の輸送です。ワクチンや試験薬、検体といった医薬品の輸送には、厳密な温度管理が欠かせません。輸送中に温度が少しでも基準から外れれば、本来の品質を損ね、効果が期待できなくなるからです。

たとえば大手医薬品卸問屋のアルフレッサは2010年より高度な温度管理が可能な医薬品の物流に、アイスバッテリーと保温ボックスを利用しています。航空物流会社のANA Cargoでも、当社の技術を使ったシステムで医薬品の輸送を行っており、今後、さらに需要は増えていくでしょう。

農作物の輸送にもアイスバッテリーは活用されています。冷凍食品の場合、温度が上下して溶けたり凍ったりすることで、いわゆる「やけ」を起こしてしまいます。また、冷蔵庫が乾燥すると農産物の鮮度が下がり、劣化が進みます。アイスバッテリーを利用した場合、いずれの問題も起きません。

JR九州の新幹線では、アイスバッテリーと専用ボックスの利用により、固くなりすぎない適温でのアイスクリームの車内販売を実現しています。

――既存のシステムからアイスバッテリーを用いた物流システムの転換はどれくらい進んでいるのでしょうか。

ガルグ:残念ながら、大きな転換はこれからです。どこの世界でも既存のシステムを変えるときには大きな向かい風を受けます。ドライアイスからの転換も簡単ではないでしょう。デスクトップからノートパソコンへ、家電から携帯電話への変化を想像していただけるとわかりやすいかもしれません。

しかしCO2を削減し脱炭素社会を目指していくことは、世界的な潮流となっています。システムの転換が遅れている日本の物流業界を何としても変えていきたい。今、物流の構造を変えなければ、日本の将来は無いとさえ思っています。

逆に、物流構造をシフトできれば、「医療」と「食品」と「サービス」という質の高い3つの産業を持つ日本は、世界で生き残って行くことができるでしょう。

アイスバッテリーで日本の高品質なワクチンや食品を世界へ

――今後はどのような展開を考えていますか?

ガルグ:これまでは開発に9、販売に1の力をかけてきましたが、これからはそれを逆転し、販売に9の力をかけてスケールアップしていく計画です。

「石の上にも3年」という言葉がありますが、私の場合は10年かけてようやくこの段階にたどり着きました。私はフレームから考える習慣があるので、最初はなかなか周囲に理解されませんでした。投資を受けず、現在も自らの資本だけでビジネスを展開しているのはそのためです。

今も昔も私が関心を持っているのは「新しいことやものを作ること」「改善」「イノベーション」のみ。現在も、電力の要らないエアコンなど、ガソリンやコンプレッサーが不要で環境負荷の少ない次世代の商品を開発中です。

――日本だけでなく世界にも目が向けられているようですね。

ガルグ:10年かけて作ってきたものをこれから世界にも問いたい。日本の農産物や薬を世界中に届けるため、国際宅配も視野に入れています。

電力や高価な冷凍車・冷蔵車が不要であれば、貧しい地域にも食糧や医薬品を届けることができます。無駄になっている食料や、ワクチンが世界各地に届けられれば、毎年病気や飢餓で亡くなっている多くの子供を救えるでしょう。

今、日本が世界に輸出しているものは電力の要るものばかりです。これからは非電源の低温物流システムを、高品質のメイドインジャパンとして世界に広め、標準化したいと思っています。バングラディシュもアフリカも日本の品質で守りたい。日本の再生医療を世界に届けるビジネスなどもこれから展開していく予定です。

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