デジタルシフトをリードする鈴木康弘氏が語る「カスタマーファースト」の重要性ーーAmazonと日本の小売業は何が違う?
Amazonの爆発的な成長によって、インターネット戦略は経営上の重要な課題だと世界中の小売業が認識するようになった。特にアメリカの大手リテール企業は巨額のIT投資を実施し、テクノロジーを活用した新サービスを次々と打ち出している。「このままでは日本は本格的なデジタル化への移行、すなわち『デジタルシフト』の波に完全に乗り遅れてしまいます」と警鐘を鳴らすのは、デジタル化を目指す企業のコンサルティングを行うデジタルシフトウェーブの鈴木康弘 代表取締役だ。小売業界のスタンダードが大きく変わる中で、日本企業は生き残るために何をすべきなのか。
鈴木康弘(すずきやすひろ)
1987年富士通に入社し、システムエンジニアとしてシステム開発や顧客サポートに従事。96年ソフトバンクに移り営業、新規事業企画に携わる。99年ネット書籍販売会社「イー・ショッピング・ブックス」(現セブンネットショッピング)を設立。14年セブン&アイホールディングス執行役員CIO、15年同社取締役執行役員CIOを歴任し、グループ内のリアル店舗とネット販売を融合する「オムニチャネル戦略」のリーダーを務める。17年「デジタルシフトウェーブ」設立。現在は同社代表取締役として、デジタルシフトを目指す企業を支援する。著書に『アマゾンエフェクト! 「究極の顧客戦略」に日本企業はどう立ち向かうか』。
「デジタルシフト」で小売業の勢力図が激変
――「デジタルシフト」は小売企業にとってどのような意味を持つのでしょうか。
鈴木:デジタルシフトとは、アナログの世界からデジタルの世界への移行を指します。例えばAmazonは、これまでリアル店舗を中心に行われていた「ものを売る」という行為を完全にデジタルの世界に移し、成功を収めました。
デジタルシフトで生まれる価値を一言で表すならば、「時間」「距離」「量」「方向」の制約からの解放です。デジタルでつながることで、顧客はいつでも瞬時に、世界中どこからでも、無限のコンテンツを受け取ることができます。
近年、小売業界にとってデジタルシフトは経営上の必要不可欠な要素となりつつあります。1980年代まで世界一のシェアを誇っていたアメリカの巨大小売企業「シアーズ」は、80年代後半から90年代にかけて、同じくアメリカの小売大手である「ウォルマート」に追い抜かれ、ついに2018年10月に事実上の倒産となりました。デジタルシフトの流れに乗れなかったことが倒産に至った大きな原因の1つであり、それはシアーズに限った話ではありません。Amazonが驚異的な成長を見せる一方で、デジタルシフトに消極的な企業は著しく業績を落としています。
鈴木:2020年を目前に控えた今、小売業に新たに求められているのは、単なるデジタル化にとどまらない「デジタルとリアルの融合」です。これを象徴する出来事として、2017年にAmazonがアメリカのスーパーマーケットチェーン「ホールフーズ」を買収しました。eコマースの世界で覇権をとったAmazonがリアル店舗網を持つことになり、加えて2018年からレジなしコンビニ「Amazon Go」の店舗展開を始め、本格的にリアルへの進出に乗り出したのです。
私自身も2018年、アメリカを訪れてこの変化を実感しました。Amazon Goの店舗を実際に利用してみると、これまでレジに並ぶことがどれだけストレスだったのか、レジを省くことでどれだけ便利になるのかを身をもって感じました。また、Amazon傘下となったホールフーズの店内には「Amazon Locker」と呼ばれるロッカーが設置され、Amazon.comのサイトで注文した商品を買い物ついでにピックアップすることができます。買収からわずか1年余りで、ここまでデジタルとリアルの融合が進んでいるのだと驚きました。
鈴木:世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウォルマートも負けていません。2016年にeコマースのスタートアップである「Jet.com」を買収し、デジタルシフトを本格化させました。店内に設置された「ピックアップタワー」に顧客が自分のスマートフォンをかざすと、あらかじめオンライン上で注文していた商品をすぐに取り出せるという画期的な仕組みの導入が始まっています。
Amazonやウォルマートがこうした「店頭での荷物受け取り」サービスを推進するのは、アメリカでは宅配時に受け手が不在の場合、再配達ではなく自宅の玄関前に荷物を置きっぱなしにされるのが一般的で、これによる盗難被害が多発しているからです。消費者の利便性を第一に考えて生まれたサービスであり、「カスタマーファースト」(顧客第一主義)を実践しています。
デジタルシフトの実現には経営者の意識改革が不可欠
――カスタマーファーストとは具体的にはどのような考え方なのですか。
鈴木:カスタマーファーストの定義とは、徹底した顧客第一の視点を持ったすべての従業員が業務に取り組むこと。直接お客様とやりとりする立場のスタッフだけでなく、例えば経理部門や人事部門のスタッフであっても、全員がお客様のことを考えて仕事をするという考え方です。2008年のリーマンショック以降に欧米を中心として使われ始めた言葉で、日本のいわゆる「お客様は神様です」というスローガンとは根本的に異なります。
お客様のことを考えるというのはすなわち、時代の流れを見据えて、それに合わせて自らを変化させていくことです。例えば10年前、スマートフォンを持っている人は決して多くありませんでした。しかし現在は、ほとんどの人がデジタルデバイスを自在に使うようになり、ライフスタイルがデジタルを前提としたものに変わっていきました。すると当然、お客様を相手にする小売企業としては、この変化に柔軟に対応できるよう組織を変えていかねばなりません。つまり、IT企業だけがデジタル事業を行っていれば良いという時代は終わったのです。
――日本におけるデジタルシフトの現状はいかがでしょうか。
鈴木:劇的に進化するアメリカの小売企業と比較したとき、日本企業はデジタルシフトにおいて大変な遅れをとっています。理由として「人の意識を変える」ことの難しさが挙げられます。
そもそも日本ではまだ、デジタルシフトに対して危機感を持つ人が圧倒的に少ない。経営者や役員の中には、過去の成功体験をいつまでも捨てることができず、「自分が在籍しているうちはこのままで何とかなるだろう」と考えているような人すら存在します。
デジタルシフトを進める上では、ITテクノロジーを自分たちの力でコントロールすることが不可欠です。自社のITサービスのプラットフォームを外部の専門機関に丸ごとアウトソーシングするのではなく、求められる機能や性能などの要件をまとめて、システム開発から構築、運用までの舵とりを総合的に行っていく。そうでなければ、社会の変化とともに複雑化していくニーズに合わせた大きな変革を起こすことはできません。
もちろん、情報感度の高い経営者や最前線のシステム責任者は、積極的にデジタルシフトを推進しようと努めます。しかしながら、実際にやってみようとしても人材不足や技術不足、予算不足、部門間の連携不足などさまざまな障害によって、途中で行き詰まってしまうケースが非常に多いのです。弊社がクライアントから受ける相談には、「何から取り組めばいいのかわからない」「複雑化したシステム構築に自信がない」といった、改革の基礎ができていないことから生じる悩みがよくあります。
――そういった日本の状況は、どうすれば打破できるとお考えですか。
鈴木:まずは経営者の意識改革です。デジタルシフトの本質とは何であるかをきちんと理解した上で、「何としてでも絶対にやり遂げる」という強固な決意を持たなければなりません。こうしたトップの意識は、ひいては会社全体の意識に関わってきます。
かつての小売業にあった常識は今、デジタルシフトの中で大きく変わろうとしています。例えば音楽プレーヤー業界において、ソニーのウォークマンとAppleのiPodが競い合っていた時代がありました。しかしAppleは自社でiTunesというオンライン上のプラットフォームを構築し、新たなビジネスモデルを展開しました。
これによりAppleは従来の音楽端末での競争から脱却して、プラットフォームビジネスというスタンダードを確立させたのです。現在、ビジネスの主戦場はリアルからデジタルの世界に確実にシフトしており、その勢いは増す一方です。
経営者がカスタマーファーストの意識を持ち、未来にあるゴール地点を見据えて、推進体制を明らかにしていく。そうして初めて、デジタルシフトに向けた業務改革を成功に導くことができるでしょう。